不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

ノア 約束の舟

日曜日は息子と春日部まで映画を観に行きました。

鑑賞したのは「ノア 約束の舟」。

息子は年齢の割には聖書に関する知識はなかなかあって、聖書の神のこと、アダムとイブのこと、もちろんノアの方舟のことなどについては一通り理解しています。

この映画を見るのであれば、さらっと聖書をおさらいしておくと分かりやすいかも知れません。

話の大筋は聖書通りですが、血筋的にはアダムとイブの子供、アベルを殺したカインの子孫たち=悪、同じくアダムとイブの子で無垢の子、セトの子孫であるノアの対立ですが、私はいつもこの聖書の構図には矛盾を感じざるを得ません。

神が完全無欠なら、なぜわざわざ悪の王国がはびこってから根絶やしにするのか。それなら初めからカインに対して神が懲罰を与えればよい話し。また、神に従順だったノアたちは何故弱小部族のままだったのか。神が試練を与えたなどと言うのは後付けの理由であって、運良く生き延びられたというのが事実ではないのか?

どうも旧約聖書の神様はサディスティックです。

個人的にはカイン王(カインの子孫)の人間の可能性や努力は嫌いではありません。まあたっぷり西洋人的な匂いはしますが(苦笑)。しかしこれがあったからこそ、今私たちがいるのではないかと思います。

劇中の悪の王国側のカオスの様は、近年暴走気味のどこぞの大国の様相にも似ていなくもない。わざと似せて描いたのかも知れない。

劇中、ノアの信仰の根拠が薄かったのと、神を「god」ではなく「creater」(創造主)と呼んでいたのが興味深い。もしかしたら宗教色をなるべく排除しようとしていたのだと思います。神様の声もなく、ノアにはイメージで伝えていたのも神秘性を排除しようとしたのでしょう。

話しとしてはまずまずおもしろかったと思います。

ラッセル・クロウ、寡黙で強い真念を持った男、ノアとして演じていましたが、とてもよかったように思います。ただし宗教的な行いや信仰に関する事はあまり言わなかったので、単純に「善人」として目立たせたかったのかも知れません。

ジェニファー・コネリー、往年の美少女スターで、私よりも一つ下ですが、その年でも美しかった。

長男のカノジョ役を演じたエマ・ワトソン、やっぱり演技はうまい。

ちなみにジェニファーさんもエマさんも才女です。ジェニファーさんはイェール大学とスタンフォード大学に行っているし、エマさんもイェール大学に合格しながらも他の大学に行っています。

それと私が大変ご贔屓にしているアンソニー・ホプキンス、ジイサンを演じていてもかっこいい。こういうジイサンになりたい。ショーン・コネリーもそうですが、私の理想の老紳士は大抵はイギリス紳士ですね。この渋さがいい。そういえばエマさんもイギリス人ですね。

ちょっとおもしろいと思ったこと。

カイン王率いる悪の帝国では肉食が普通に行われていたのに、ノア一族は肉を食べていなかった。西洋人と日本人のようだと思った次第。日本でも例えば神社や寺、宮中の祭事で動物が生け贄として殺されることはありません。普通は稲穂とか、植物です。だからノア一族の自然に対するスタンスは日本人によく似ていると思います。実際にはノアの方舟には一つがいずつの動物が乗せられましたが、「人間の家畜」と黙されていた動物は7つがいずつでした。だから本当はノアたちももちろん肉食でした。

帰路、息子と語って合意した話し。

神様は天上のどこかにいるんじゃなくて、本当は自分の心の中にいる。舟を造ったのも、赤子を殺さなかったのも、全部、自分の心に従っただけ。その正しい心がキッチリ自然とシンクロしていたときにだけ奇跡が起ることもある。神様はいるのではなく、その作用を指すのかも知れない。

あれだけノアたちが正しい行いを心掛けてきたのに、今のイスラエルがカイン王の悪の王国と似たような事をしている。そういう意味ではユダヤ人は本当に救いようがない。神様がバカなのか、ユダヤ人がバカ過ぎるから神様が面倒を見ているのか、これでは分からない。どちらにしても、今の彼らの所行を見ていると、神から本当の安寧や平和を与えられるにはほど遠い気がする。10歳の子供に言われているユダヤ人、情けないな。

ま、そんなことを思いました。

平成二十六年文月七日