不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

子供の育て方について徒然と

子供ができてからは自分の今まで蓄積してきた知識や哲学、技術を投入することに腐心するようになりました。

「こうしなさい、ああしなさい」というのではなく、本人がやりたいことに対してサポートをする際に今まで得てきたものを活用します。多分親はみんなそんなものではないでしょうか。

先日誰だったか、子供を洗脳しているんじゃないかと言われました(苦笑)。

子供は親の背中を見て育つと言いますが、親のものの考え方、行動規範、言動を真似ます。よく「伸び伸びと自由に育てる」なんて言われますがそんなのはチャンチャラおかしい。サルは生まれながらにしてサルですし、馬は生まれながらにして馬です。しかし人は生まれたときはまっさら、パソコンで言うなら記憶媒体は初期化された状態です。人は他の動物以上に柔軟に変化する生き物です。故に自由気ままに育てるなどという戯言は嘘です。責任放置にも等しいとすら思います。結局誰かを手本にしたり真似たりしますが、当然ながら一番近い人になります。その一番近い人が「伸び伸び自由に」なんて言っていたら子供は一体何を手本にしたらいいのでしょうか。やはり子供が真っ先に見るのは親の背中です。

厳しすぎるのはもちろんよくありませんが、緩すぎもよくない。水に合わない教え方はよくないというのが正解のように思います。例えばアメリカ人家族みたいにお父さんと息子が親友のように、なんていうのは大変よろしくないというのが私の正直な感想です。あれはアメリカだからいいのであって日本の風土に合っているとは言いがたい。そもそもアメリカで両親仲良く子供が2.3人なんていう家族がどのくらいいるんでしょうか?ネットで離婚率やらそういうことを調べてみて下さい。幻想です。日本食が日本人の生活や風土に合っているなら、教育の仕方や習慣も違って然り。毎日ピザやハンバーガーの類だけで平常でいられる人がいたらそれは本当にもう日本人ではないでしょう。(海外に行ったらまた別ですけど)

多少大胆に言えば、子供に対してシメるところは決して怯まずにシメねば、ある意味日本人としてのアイデンティティーが保てないような気がします。まあ、それ以外は緩くてもいいと思いますが、そもそも古来より日本では子供に対しては随分甘いことが多いと言われています。

私は決して真新しい教育スタイルなどはマネしませんが、昔の人はしていたであろうことはなるべくします。お盆の行事などはやらなくなって久しいですけど。(都会に住んでいると結構面倒なので)。考え方や信心、郷土愛などは繰り返し手本を見せ教えています。同時に広い世界についても偏見のないように教えています。中国に関しても中国工場の社員は必ず家に招待しつつ、ニュースなどの問題行動を見せます。そこいらの子供よりもずっとリアルな体験を元に自分で中国に対するスタンスは考えることでしょう。安易な反中思想は持たないで欲しい。(安易でなければ持ってよいと言うことです)

やりたい目標に対して親が選択肢を掲げるのは愚かなことです。自分の足で選択肢を幾つか持ってこさせるべきです。例えば(あくまでも例えばですけど)宇宙飛行士になる、というのに、高い学力、優れた体力、を必要とし、よい中学、よい高校、よい大学、よい企業に行かねばならない、なんて言う親がいたとしたら笑止です。そもそもそんなバカな回答はJAXAの質問コーナーの回答にすら上がらないです。

子供自身で準備させ、実行させ、失敗させ、改善させ、また準備させる。その工程に対して親はアドバイスとほんのちょっとの手伝いをするだけ。手を出したくなるときは多分、まだそうすべきではないと言うことが最近分かってきました。

埼玉県行田市に咲いている古代蓮は3000年ぐらい昔のものだそうです。次の日に咲く花もあれば何千年後に咲く花もあることを知るべきであるという理由は、人間だけが時間の概念を理解しているからだと私は思います。

人も然り、10代でオリンピックアスリートになる人もいますが、60歳を過ぎて名を挙げる人もいます。もちろん、いずれにしても血の滲むような努力は必要ではありますが、その「血の滲むような努力をする」時期すら自分で決めさせるべきだと思います。親は子供の背中をほんの少し押すことはあってもそれ以上であってはいけないと思います。

私はどちらかというと子供が我慢できずに走って行きたくなるような夢や希望をハッキリとしかも遠くに見せてやることを良しとしています。それなら道中がどんなに険しくても大丈夫だと思っています。

割に平坦な道を歩いて豊かな暮らしを得る人もいます。散々険しい道を行きながら、実りが少ない場合もあります。でも人生を入れ替えることができるはずもなく。自分の人生を一生懸命に歩くか、適当に歩くか、歩くのを止めるか、私たちの自由なんて所詮はそんなものだと心得ています。昔は宇宙海賊キャプテンハーロックが語る「自由」がまぶしかったのですが、大人になれば本当の自由とは上記の如くだと悟りました。本当のところ、本当に完全フリーな自由なんてあったら逆に怖い。

我が家は恥ずかしながら子供にあまり大金をつぎ込めない実入りなので(T-T)、清く正しく美しく、じゃないですが、神仏を尊ぶ、広く世界を見る、など、昭和30-40年代ぐらいの世の中の価値観を踏襲している部分がなきにしもあらず。大きくなってお金は何となっても(お金は借りることも出来る)、積み上げてきたものに関しては貸し借りが出来ません。毎日をできるだけ丁寧にクリアさせることが、特に子供がいる家庭では重要だと思っています。

だからどんなに疲れていても子供からの質問や会話では「うるせーなー、疲れてるんだよ~」とか「そんなの知らねえよ~」とは絶対に言わないことにしています。もちろんテキトーな返事もダメ。可能な限りあらゆる角度から答えるようにしています。ま、疲れていたら普通の返事ですけどね。

最近子供を死なせたりする事件があまりにも多いので、ふと書き綴りました。

東日本大震災から約1ヶ月後、息子と山奥の禅寺に行った折、息子が寺の掃除を手伝っているところ。自分の体重と同じくらいの枯れ葉の袋が10数袋できあがりました。

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平成二十六年水無月六日

不動庵 碧洲齋