昨日は露国武友が神社で祈祷を受けました。
かつて源頼朝が平家に反旗を翻した折、奥州からはせ参じた源義経がここで兵を整えたと言われています。
また、ご神体の僧形八幡坐像は、袈裟をまとった法体の像で、右手に錫杖を、左手に経巻を持って台座に坐していますが、仏教に深く帰依している自分には、深く縁を感じます。
さらに今を遡ること40年前、この神社の近所にある幼稚園の園児だった私は、ここで大袖鎧を着た武神を見ました。
ご祈祷は道場開設(改号)に当っての祈願と武運長久。
8月には同じ同門で米国人の後輩が同じ趣旨でご祈祷を受けました。
今を遡ること70年前、この神社では米国を撃破せんがために多くの将兵が必勝撃滅、武運長久を願ってご祈祷を受けました。そして今、そのかつて敵だった国の人間が日本と共に平和を願って同じ武運長久を祈願しています。また、わずか22年前まで米国と覇権を競っていたソビエト連邦を作り上げたロシア人が、今度は同じく武運長久を祈願しました。
私よりもやや若い神主さんが感慨深く語っていました。
本来八幡神社ですから必勝祈願、武運長久は昔は多くありましたが、今ではほとんどありません。(8月に米国武友の武運長久をお願いした折に新たに祈願文を書いたそうです)改めたこれを書いてみると平和について改めて考えさせられるとのことでした。
鹿嶋神宮のようなところならいざ知らず、小さくはないとは言え、有名でもない神社で米国人や露国人が武運長久を祈願すると言うことはなかなかないでしょう。
私が信じている平和はこのようにして広めていきます。
むろん、謂われのない理不尽なクレームを付けてきたり、感情的な扇動を繰り返し、いらぬ衝突を飽きもせず行っている国があることは確かです。そしてそういう国に慈悲を持てとか言うつもりもありません。
しかし現実の平和や治安維持というものは粛々と淡々と行われています。国内では警察官が、国際的には自衛官がその職務を遂行しています。
反日行動にヒステリックになってリアクションを起こしたり、憎しみを憎しみで返したり、そういう人たちは得てして本当に平和を欲しているのではなく、単に恐ろしく平和な日本にあって、ややスケールの大きい刺激が欲しいだけという人が非常に多いように感じます。相手を憎んだり罵ったりして平和が得られるなら、ケーキに唐辛子を振りかけて食べてみろと言いたい。
本当に平和を願っている人は右でも左でもない、上を目指しています。右か左かと騒いでいる連中は得てして騒ぐことに意義があるのであって、目指すべき人間の目標を知ろうとしていないようにも感じます。
これから先、この神社で武運長久の祈願をする武友は増えると思います。
私は実行することで平和の考え、日本人の持つ和の心を世界に発信していこうと思っています。
神社にある樹齢600年の大銀杏
平成二十五年神無月八日
不動庵 碧洲齋