不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

無題

比較的長く武芸を嗜んでいますが、私はその中でも長物をよく使います。特に槍をよく好んで遣います。長物の武器を遣う場合、体幹のブレ、というものが如実に表れるものです。素手では静止している、あるいは安定していているつもりでも、武器を持つとその先端が揺らぐことしばしばです。長物であれば尚更。全くの素人であれば、軽い棒ですらゆらゆらと揺らぐものです。それはひとえに体幹が据わっていないためで、特に武器を遣う武芸をする武芸者達はその体幹をいかに安定させ、効率的に動かすかにかかっています。

社会生活でも然り。何気ない一所作、一声であっても心の体幹が据わっているかどうかでその効果は明らかに違います。社会生活の達人はこの辺り、優れています。体幹が据わっていればそれを言うタイミングや間合いが絶妙であるはず。私は師からそのようにいつも言われてきました。日常生活でも一挙手一投足、一言に至るまで、それを意識して生活に臨んできたつもりでしたが、先日大変な失敗をしでかしてしまいました。

これはあくまで私の猛反を込めた備忘なので、あえて詳細は書きません。尋ねられても返答できません。その辺りご了承下さい。

昨日、息子と蛍を観て、よい加減で帰宅してみると、フェイスブックに一通のメールが来ていました。

先日のある行事について、手違いと連絡不足、加えてネット上にて行われた私の書き込みに対する非礼さについてでした。

相手は私と歳こそ同じですが、私から見て相当優れた、無条件に敬意が持てる武道家です。ある件で私の武道に対する心得不足、心得違いはもとより、それを取り繕うとしたばかりに焦って書き込んでしまったことが相手に余計な恥をかかせてしまったとあっては江戸時代であれば斬られても文句は言えませんが、公衆が見られるインターネット上に不用意に書き込んでしまったとあっては江戸時代の恥のかかせ方以上とも取れます。

後で読んでみれば、確かに何様のつもりだ、と思われるような文面とも取れます。もちろん、私はその方にいつも敬意は持っていたため、そんなつもりはつゆほどにもありませんでしたが、自分の誠意に文章力が付いていかなかったのか、熟慮が足りなかったのか。多分両方でしょう。善意誠意は受け手の受け方があってのこと、それを慮ることのない善意は独善と言います。受け手が不可と言えばそれはもう全て私側に非があるのです。それにしても不惑を過ぎてからのこういう大失態は全く面目もなく。

以前にも京都のある流派の宗家と誤解から一度ものすごいメールを頂いてしまいましたが、この場合は明らかに両者ではなく、第三者の意図による思い違いというか認識不足から来たものだったので、すぐにご理解頂き、今でも時折メールなどで挨拶していますが、今回は全く以て自分が打った手のまずさからきたもの。彼の懇意にしている、やはり優れた希代の武友皆様の心情も同じく私の文面は無礼であるとのことですから、やはり私のものの書き方は相当無礼でした。

交流断絶まで言い渡されてしまったのですが、私としては平身低頭に謝るほかになすすべもなく。後は気が済まないようであれば殴るなり土下座させるなり、可能な限り難でも致しますとしか言えませんでした。普通はここまで低くするかどうか。ただし私がこれはと認めた極めた優れた武道家です。やはり断交を言い渡されても、あまり気分の悪いままというのは少々頂けません。ここは痛い思いや辱めを受けて受けてでも相手に収まって頂くほかなしと思いました。

市井の人に恥をかかせても大変な事なのに、よりによって武道家に恥をかかせるとは、全く呆れるほど注意力が足りません。小事と見過ごし、曖昧にさせてしまったところからこのような大事に至らせるとは我ながら呆れ果てています。戦場なら首が数回飛んでいたことでしょう。

既に断交を申し渡されてはしまいましたが、相手の不名誉を挽回でき、憤りを収められるのであれば、可能な限り許しを請いたいと思っています。

文面にて失礼いたしますが、I氏とそのご武友の皆様、無礼千万な書き込みをして不愉快な思いをさせてしまい、真に申し訳ございませんでした。許されるべき事ではないと心得ていますが、この碧洲齋、本件における我が身の愚かさと礼儀知らずの件は胸に刻んで、今後は極力そのようなことがなきよう慎むと誓うことだけは、心に留め置いて頂ければ幸いです。

平成二十五年水無月二十四日

不動庵 碧洲齋 拝