世界には195カ国があるとされています。
昼休みに今まで自分は一体、何カ国の人と会ったことがあるのだろうと、数えてみました。
とりあえず挨拶をしてちょっとでも会話を交わした、という前提の数です。
ざっと120カ国でした。10カ国ぐらいは前後するかも知れません。
ほとんどが留学中に知り合ったか、日本語教師として豪州赴任中に知り合ったか、もしくは当流に出稽古のため日本にやってきた、というケースです。
幸いにして英語が多少できたため、相手によってはかなりディープな話しもしました。
(フェイスブックの友人を調べてみたら少なくとも40カ国前後ありました)
現在の私の仕事は建設機械の輸出。ほとんどメールですが毎日英語は使います。週に一度は外国人同門と会話をしますし、フェイスブックを中心に禅や武芸について語ったりしています。
多分平均的に見て、決して低くないと思います。
そういう前提で語らせて頂きます。
母国を誇ることはとても自然です。
そういう人に対しては決して悪い気がしません。
母国の素晴らしいところを自慢し合っても、後味が悪いことは今まで少なかったように思います。
祖国について知らなかったこと、外国からどう思われていたか、色々分かり、なかなか楽しいものです。
同じぐらいに今までよく知っていたつもりの外国、聞いた事もなかった国のことなどを知ることができ、かなり興味深くなります。
留学していたときなどはお互い英語が拙い場合が多いので、たどたどしい英語での交流でした。
日本語教師になってからは日本語の教え方についてはもちろんのこと、日本についてもいろいろ学んだものでした。
逆にそういう場で母国を誇らない人、母国の悪口ばかり言う人はどうかと思ったものです。
まあ、どの国にも悪い部分は必ずありますが。
そういう場合、仮想敵国の人、他国の人を貶めても母国の誇りにはなりません。
自分だけではなく、祖国の品位を更に落とすだけです。
決してよい結果を生みません。そこだけ、日本人の常識では動くべきではありません。
祖国をけなされてもあまり怒らないのは日本人ぐらいです。昔、口さがない中国人と韓国人が日本の悪口を言ったところ、当の日本人はきょとんとしていたのに、台湾人とタイ人とインドネシア人たちがマジギレ逆上して大変な事になったことがありました(苦笑)。
その時は私たち祖父母の世代に心で手を合わせたものでした。
私はグローバリズムとかいう怪しげな言葉は嫌いです。
そんなものはありません。
それは普通にアメリカンスタンダードと言えばよろしい。
現在、間違いなくアメリカが自他共に認める超大国であることは間違いないのですから。
同じように中国はやはり世界的に見てご迷惑国家であることも明白です。
グローバリズムはありませんが、やはり異国人とコミュニケーションを取る場合に、ここは外せないという部分はあります。また、日本人としてこれは外してはいないと思う部分もあります。
「日本人として外してはいけない部分」
これはとてつもなく大きなウェイトを占めます。
理由はとても簡単で、世界のどこに行っても日本製品を見かけることがあり、しかも中国や韓国、北朝鮮ですら品質には一目置かれているからです。
非白人国家で唯一の先進国です。
先進国で桁違いに古い国家です。
原爆を落とされながら、戦後は米国と敵対することなく(色々紆余曲折がありましたが)、2.3カ国を除き、およそ日本が好戦的、軍事的だという国はありません。
勤勉で礼儀正しいと言うこともよく知られています。
以上の理由から、米国や中国と並んで、それを作った民族という見方をされるわけです。
もちろん日本人の皆がそういうわけではありませんが、私は外国人たちと接するに当っては、やはり敬意を勝ち取りたいと思っています。
日本を知らぬ外国人たちには「やはりこんな人たちが作っていたのか」と感嘆させ、納得させたいのです。
その敬意は父の代で終わらせたくありません。どうあっても息子の代にまで継続させたいのです。
息子にも日本人としての敬意を受けさせたい、そう思っています。
これは軍事力や経済力では絶対に勝ち得るものではありません。これは歴史が証明していますし、今の中国を観れば明白な事実です。
ネトウヨと呼ばれる人たちについて。
リアルで接したことがない場合、どうも人は過激に陥りやすいものです。
これはリアルな繋がりがあってもそうなります。
それは事象のごく一側面の表面だけを削って文字にしている為で、事実そのものではないからです。
眼を背けたくなるような罵詈雑言も空虚なもの。その人たちの非リアル性を象徴しています。
どうにも最近はスカスカの非難合戦が多いようです。
ま、私もかなりきつい皮肉を言ったり、批判もしますが、一応罵詈雑言とか聞くに堪えない悪口にならないように抑制はしているつもりです(笑)。
事中国に関しては仕事でも深い繋がりがありますし、中国史・中国哲学に足を突っ込んでからすでに四半世紀、むろんナマの中国人とも何十人となく語ってきた上で出てきた文句です。正しいかどうかはともかく、根拠も論拠も現実性も十分あると思っています。
結婚しない、子を持たないということは長期的視野を持てなくさせています。
後がないと人は平気で攻撃的になります。
次世代がないと慎みや思慮深さが欠落することが多いように思います。
子供がいれば全部そうなるというわけではもちろんありませんが、私はやはり屋上階にいる人より、中間階にいる住人の方が周囲に気配りができるのではないかと思うのです。
故に本気で愛国心があるなら、結婚して子供はできれば3人ぐらいもうけてください。
その上で思うことがあればどんどん書いて下さい。
その場合は少しは力のある言葉になること請け合います。
次の世代を想えばこそ、栄えある日本の伝統や歴史に磨きを掛けて手渡したいというもの。
他人や他国の悪口で抜きん出た国はありません。人も同じでしょう。
言葉でなく行動でそれを為せば、言葉などどこ吹く風程度かと。
それは数少ない反日国家を見れば然り。
皆喜んで我が国の製品を買っています(苦笑)。
それでいいのだと思います。
無論、悪用されたり、利用されたりしない限りは草の根交流などは続けた方がよろしいかとは思いますが。
私も中国や韓国の卑劣なやり方には時々本気で腹が立ちますが、そういう場合は人道的に考えても十分に該当する場合だけです。
怒りや憎しみ、差別や罵りでは前には進めないでしょう。
難しい事ではありません。
もちろん博愛精神だけでも前には進めないので、そこだけは釘を刺しておきます。
私は理想主義者ではありません。かなり現実主義者です。
普通に、戦争になってしまったら滅私奉公で戦争に行く覚悟はありますし、死んでも文句はありません。が、そういう事態になるまで、同じように狂気のようにこの平和を形骸化させないよう、滅ぼしてしまわないよう努力します。息子から見て、父親の代で平和が途切れたなど、悪夢でしかありません。民主国家で戦争が起きた場合は国民の責任です。だから子供たちに顔向けできません。
結婚していなかったり、子供がいないと程度に差こそあれ、ヒロイズムや義勇感からくる高揚で戦争辞さず、になりがちですが、子供を持つと臆病になります。100年先がリアルなものとして感じられます。経済的に没落せずに国の威信を落とさずにというのは無理ですが、どこの国も日本に対して敬意を持ち続けてくれるような国家の在り方は決して不可能な話しではありません。私はそう信じています。
此度の政権は今のところなかなかよい手を打っている感ありで、しかもやめればよいのに世界でもたった3つしかない反日国家は日本人の緊急スイッチを入れてしまったような気がします。これが正しく起動したのかどうか、1.2年後をめどに見定めてみようと思います。
平成二十五年弥生六日
不動庵 碧洲齋