留学中のことでしたが、友人の家に遊びに行った折、トイレに何かの言葉が飾られていました。ちょっと気になったので、その場で書き取り、持ち帰りました。15歳頃から格言や名言を集めたり作ったりすることが趣味になっていたので、その言葉もコレクションのノートに書き記しました。
帰国後、しばらくして本屋に行ったとき偶然、それが和訳され販売されていることを知りました。インディアンの言葉、とか、インディアンの祈りとして、今でもよく書店で見かけます。
日本人がインディアンと聞くと、煌びやかな鳥の羽根飾りを身に纏って、半裸で馬に乗り、奇妙な雄叫び声を上げて荒野を駆け巡るイメージがありますが、実際は違います。今はありませんが、以前、他のサイトに掲載されていた、私の米国紀行のアリゾナ編から抜粋したものがあります。
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私が初めて「インディアン」なる人種を見たのは、グランドキャニオン国立公園にある土産屋だった。石で作られた塔の下にある、しゃれたショップに入り、しばらく商品を眺めていると、誰かが大声で怒鳴っている声が聞こえた。振り返ると、デブで中年の白人男性(多分オーナーだろう)が、質素だが、きれいなケープのようなものを身にまとった小柄なインディアンの老女に向かって織物のようなものを手にして、何か怒鳴っていた。その店の一角のコーナーには、特別にインディアンが手作りで作った本物の手芸製品があった。もちろん高い。そこに陳列する予定の商品について怒鳴っていたのだろう。男の話を良く聞くと、デザインとか納期とかが違うと言っていたようだった。老女はうつむいたままかすかにうなずき、謝っていた。その表情は、多分死ぬまで忘れないだろう。瞬間的に煮えくりかえる気分だったが、店の中であったのと、英語がつたなかったため、黙って出ていき、店に一番近く、無造作に止めている、恐らく奴の持ち物であろうアリゾナナンバーの緑色のBMWにコカコーラを黙々と大量に注いだ。多分、この炎天下では彼が出てくる頃にはべとべとになったことだろう。
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昔は私も少々、正義の届かないところでは意地が悪い部分がありました(笑)。
昔から、そして今でも白人に虐げられているのが現状です。
インディアン居留地にも行きましたが、私なら反乱でも起こしたかも知れません。
インディアンの祈り/言葉には極めて優れた言葉が多いです。
ことのほか、私がとても気に入っているサイトはここ、
サイトの管理人さんとも何度かやり取りをかわしましたが、非常に素晴らしい方でした。
時間がある方はぜひ読んでください。
話が逸れましたが、書き取った言葉はその時から、将来自分に子供ができたら、ぜひこのように育てようと思った文句でした。当時、私は結婚とか子供はもちろんのこと、彼女も別段欲しいとは思わなかった程、武芸にはまっていましたが、不思議とこの文句はずっと胸に刻まれました。
今、自分には子供がいますが、不思議とその通りに育てています。
親がよいわけではなく、先人たちや私の両親たちの想い、哲学、思想、信仰をかみ砕いて息子に受け渡しているだけです。私如きの底の浅い水たまりではありません。深遠で玄妙な大海のような言葉たちです。古からの世界中の素晴らしい哲学や思想が容易に知ることができるようになったことに関しては、本当に感謝しきりです。
【 インディアンの祈り 】
批判の中で育った子供は非難を知る
敵意の中で育った子供は闘争を知る
嘲笑の中で育った子供は用心を知る
恥辱の中で育った子供は罪悪を知る
寛容の中で育った子供は忍耐を知る
奨励の中で育った子供は自信を知る
賞賛の中で育った子供は感謝を知る
公正の中で育った子供は正義を知る
安全の中で育った子供は信仰を知る
協賛の中で育った子供は自尊を知る
受理と友情の中で育った子供は、
世の中に愛を見つけることを知る。
初めてグランドキャニオンに行ったときの写真。
中央小さい人影が私です。
そこで初めてナヴァホインディアンを見ました。
機会があったらアメリカインディアンと呼ばれる方々の物語や言葉を読んでください。彼らが幾度も白人たちからおよそ信じがたい迫害に遭いながら、決して忘れなかった素晴らしい教えが心に染みることでしょう。それらはきっと、子育てや教育に役立てられると思います。
平成二十四年霜月二十一日
不動庵 碧洲齋