父の日
父の日に息子からプレゼントをもらいました。
台ふきんというのか何なのかよく分かりませんでしたが、手作りということでありがたく頂きました。
メッセージはいつも朝食を作ってくれてありがとう、ということでした。特に味噌汁が美味しいというコメントは嬉しい限り。
朝食は基本的には二人で食べます。正直言ってほっとするというか落ち着くというか、慌ただしさもなく、心のわだかまりもなく、これからの一日にふさわしい時間を過ごしています。
私が子供の時はやはり学校で何かプレゼントを作った気がしますが、良く覚えていません。父の日とか母の日とかに特別に何かしたことはなかったのですが、今思えばもう少し何かしてあげられなかったものかと悔いは残ります。
父は東映に勤務していました。退職後はヤマト運輸のメール便配達を健康を兼ねてやっていましたが、元々よくなかった目が悪化したのでそれを止め、自宅で静かにしていました。
ほどなく私たち夫婦が息子を連れて実家に戻ったので、孫と約3年暮らすことができました。これが親孝行だったのかといえば、ほとんど唯一の親孝行だった気がします。
父は寡黙で家事などもよくしていました。
保安隊から自衛隊に名前が変わった年に自衛隊に2年ほど在籍した後に東映に入社したそうですが、勉強もでき、お金もあったのに他の兄弟のように大学にも行かないでそういう道をたどったということに、子供の頃からずっと興味がありました。父はあまりハッキリと理由は教えてくれませんでしたが、今はよく分かります。母方の祖父、父方の祖父がどんなことを考えていたのか、最近ではハッキリと分かってきました。
父からもらったものは経済的なものや知識的なものなど、私など及びもしないほどにたくさんあり、今に至っても恐縮の至りですが、父からもらったもので一番心に残ったものがあります。
それは私が留学のために初めて渡米する際に、色紙に書いてくれた、たった一言です。
「気配り慎重に」
その当時は全く気にも留めなかったのですが、結婚する少し前ぐらいから気に掛かり、今に至ってその言葉の持つ重大さがよく分かってきました。色紙の中では一番短い言葉でしたが、実によく、的確なアドバイスだったと思います。やはり父なりに私のことをよく見ていたんですね。
二十歳の時にもらったアドバイスを未だに消化できぬほどに不肖の息子ではありますが、これからもその言葉を大切にしていきたいと思っています。
平成二十四年水無月十八日
不動庵 碧洲齋