不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「突然やってくる人類滅亡!」と「急増するエクソシスト!」

昨日、THE BEST HOUSE という番組を見ました。

http://www.fujitv.co.jp/123/oa.html

世の超常現象とか奇跡とかを取り上げる、アンビリーバボーみたいなもののようですが、昨日取り上げていたのは・・・

1.突然やってくる人類滅亡!

2.急増するエクソシスト!世界で多発する悪魔憑きの実態!

まあドキュメンタリーと言うよりはエンターテインメントの類でしょうか。

ともあれ、ふと思ったことを少し。

1.突然やってくる人類滅亡!

いつぞやの1999年のノスドラダムスの予言と異なり、どうやら大自然の周期としてやってくる大異変のようです。過去の幾つかの遺跡群はそれを予言しているそうです。でもそれは予言しなくても氷河期とかは周期的に来ているようですし、その場合はかなりたくさんの個体が死んでいくのでしょう。生き残れるのは金持ちかも知れないし、幸運な人かも知れないし。滅亡がやってくるから「わ~コワ」というのはばかげています。また、突然と言っても多分100年とか1000年とかという長さです。自然は1年や2年では変りません。自然の定めで逃れられないなら、いっそ戦争を止めれば毎年400兆円ぐらいの予算は世界中で調達できるのですから、それを50年続け、20000兆円分を宇宙開発ななどにかければ、全員は無理にしてもかなりの人間が避難できるかも知れません。人間の叡智を昇華させる絶好のチャンスだとは思います。

難しいですか?

では一人一人がその日その日を悔いのないように一生懸命に生きる。明日死んでも満足できるぐらいに充実して生きるのはどうでしょうか?これなら明日滅亡がやってきても特に問題ないでしょう。

自然の摂理は変えることはできないし、変えるべきではありませんが、人の本性は良い方向に変えることによって、人間自体がよりよくなっていくように思います。

アセンションなどという言葉もそれに乗じて広まっていますが、英語にすると「ascension」。イエス・キリストが昇天したときなどに使われる「昇天」などと訳される単語です。私的にはこのアセンションなる意味は後者ではないかと思います。

大自然の摂理にとやかく文句を言っても始まりません。そもそも大自然の摂理は人間のために作られているわけではないのですから。だからこそ、私たちは自分たちの内面を充実させることが重要になってくるのではないかと思うのです。

2.急増するエクソシスト!世界で多発する悪魔憑きの実態!

私の身辺にも、「憑いている」と思う人が何人かいます。そのうちの一人は最近、相当目がイッているように思います。見ている相手を現世からあの世に押し潰そうというような視線。もっとも「無」を押し潰せたらやってみやがれ、とこちらは禅の境地で立ち向かうだけですけど(笑)。

話が逸れました。この番組で紹介されたアメリカのボブ・ラーソン牧師曰く、依頼者の7割は悪魔ではなく心理的な問題で、残りが悪魔に取り憑かれているとか。で、悪魔は怒り立っている人とか、復讐心に駆られている人とか、憎しみを強く持っている人とかに取り憑きやすいようです。ま、別に悪魔でなくとも、悪意を持つ人間だってそういう心のバランスの悪い人は利用すべしと思いますけどね。

個人的には悪魔と言うよりも深層心理、かなり深いところで起こっている現象ではないかと思います。

例えば心は普通、真球のようなものが糸で吊られていて、何か事に当るたびにぐるぐる回ったり、ややひっくり返ったりしますが、重心が中心にある限りは必ず最短時間で復旧します。が、その重心が何らかの理由で位置がずれたりすると、元に戻りにくくなったりします。真球の表面は人間のあらゆる感情や記憶が刻まれているのだと思います。

このような情報過多の時代です。真球の重心が思い切りブレるのも分かります。

この悪魔払いは日本人にはどのくらい効果があるのでしょうか。ちょっと興味があります。

強力な光があるとします。強力な光をものに当てると非常に暗い影を作ります。暗い影を作らない光源はありません。

神を信じる、その行為は同時に悪魔を信じると公言しているのと同じです。コインの表と裏のようなものです。

どうも西洋人はそのような2面性を強調しがちです。

神道にも神はいますが、原初より現れた八百万の神がいて、良くも悪くも働きます。つまりこの場合、良い悪いという判断基準を設けていません。

仏教は真球の一面を光らせることはしません。真球そのものがあることを識るための修行だと思います。もっとも真球も喩えですから、本当はそんなものもないと思います。

息子に良く話します。

「お前の心の中にはお不動様と鬼が住んでいる。どっちが強い?」

「お不動様」

「それは違う。どちらも同じぐらいに強い。」

「じゃあ、どうやってお不動様は鬼に勝つの?」

「お前がお不動様の味方をすれば、2対1でお不動様が勝つ、お前が鬼の言うことを聞いてしまうと1対2で鬼が勝つ。ただそれだけだ。」

「じゃあいつもお不動様の味方をすればいいんだね。」

「そうだ、でも大事なのは心の中にはお不動様も鬼もいると知っていることかな。」

ちなみにアメリカでは中西部以西にこういった「悪魔に取り憑かれている」人が多いと、留学中に聞いたことがあります。

元々アメリカには現在「インディアン」と呼ばれている原住民たちがいました。私が知る限りはかなり平和的で自然主義者です。ステレオタイプでは非常に野蛮だと映っていますが、相当な大飢饉でも飢え死にする人がほとんどいないことから、社会的にかなり助け合って生きてきた人たちのようです。ところがヨーロッパからやってきた人たちが、およそ信じがたい方法で大虐殺をして、現在は僅かばかりの僻地で細々と暮らしているだけです。私も実際、アリゾナで虐待されているに等しいナヴァホインディアンたちを見たことがあります。

ま、そんな他人の土地を今時の軍事政権でも引いてしまうような極めて残忍冷酷、悪どい方法で大虐殺を繰り返し、現在に至っています。住んでいる人たちの深層心理たるや、人によっては罪の意識に苛まれたり恐れおののいたりしていることが多いかと思います。

そういう意味では日本人は別格と言って良いでしょう。なにせ石器時代から住んでいるのですから。以後、あちこちから日本に流れ着いてきている民族もいますが、最近のDNA調査ではヨーロッパ全部のDNAよりもバリエーションがあることが分かっているようです。「大和」という民族の名前は伊達ではありませんね。そのうえ世界最古の王族を戴いているわけですから、深層心理からの安定度は先進諸国ではかなりのものではないかと、密かに思っています。もっともそれも最近は怪しくなってきたと言わざるを得ませんが。

悪魔という単体の存在そのものはあるとは思っていませんが、人間の心には悪という少なからぬ面積を備えている一側面があることは間違いありません。同時にそれと同じかそれよりも大きい「善」という一側面も燦然と輝いている事実も覚えていたいところです。最も大事なのはそれらは「そのもの」の一側面だと言うこと。「そのもの」は確かにあり、それこそが私たちをしているのだと、そう考えればもっと楽に生きられると思います。

SD120209 不動庵 碧洲齋