ここ最近、やはり年齢的な違和感を感じるようになってきました。
先輩同門も40歳を超えたら無理が利かなくなる、と言っていましたが、どうやら本当のようです。
くたくたになる程の稽古でも、翌日には大抵ケロッとしていました。
今は朝のうちだけ、状況によりけりですが、無視し得ぬ程度の重さが僅かに残ることしばしば。筋肉痛があったときは、はっきりと痛みが引く時間が遅くなっていくのが分かります。
こういう時はやはり歳なんだなぁ・・・と思います。
今までのように歯を食いしばって汗水流してクタクタになるまで稽古をする、というスタイルができなくなってきたと言うことです。
ま、これはこれで受け入れなくてはならないのでしょうけど。
幸いにも私はかなり横着な方なので、7-8年前から肉体を酷使せずに、いかに効率的に合理的に楽に戦うことができるか、という視点を重視して稽古してきました。歳を重ねるとこの視点は重要なのではないかな、と思ったりします。
あ、もちろん、基礎的なモノは必要ですよ。
最初から楽な戦い方なんてないですから。
ただし最後まで楽な戦いなどないと信じている人は、お疲れ様な人だな~と思います(ん?)。
とはいえ、今の年齢は現宗家の約半分、前宗家と比べてもその半分。まだまだ、体にも心にも要らぬ無駄が多く詰め込まれているようにも思います。そういう意味で「自我をなくす」というのはある意味真理なのかなとも思ったりします。
だいたい、人は生まれてきたときは裸一貫、あの世に行くときは身体すら持って行けません。思うに、死ぬこととは、不必要なモノを自覚し、順位の低い順から捨てさせていく修行ではあるまいかとすら思えてきます。望む望まぬを別として、全部なくなった状態が「仏」です。
じゃあ仏に近い人が風のように千変万化できるということか。
なるほど・・・。
SD111118 不動庵 碧洲齋