不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

蓮の種

私は結構親ばかな方ですが、息子が一人っ子と言うこともあって、可能な限り一緒に遊びます。

そして息子の何気ない質問や疑問にも徹底して付き合うようにしています。

その何気ない質問や疑問には、本人も気づいていない、深い意義が隠されているところだけはよく知らせ、なるべく自分で解くように仕向けます。

目下の悩みは体力不足。

私も子供の頃はどちらかというとインドア派でしたが、息子と比べたら遙かに外に出ていたと気づきます。

昔の子供はよく外で遊んだと実感します。

もう少しアウトドアを体験させたいと思っています。

私はよく息子に触ります(笑)。

それが一番、息子が現実に存在しているという実感が湧くからです。

そして触っているときにはコイツが大きくなったらどんな男になり、どんな父になり、どんなことをしているのだろうと考えます。

その時、父の存在意義はどんなものだったのだろうと思います。

私の場合、ごく最近になって、顔も見たことがない両方の祖父母たちの考え方、両親たちの愛情や哲学などが溢れるように実感として分かってきました。

イヤイヤ、悲しいほどトロすぎて、不孝者とはこういう輩を指すんだなと、つくづく反省します。

ただ、こうも思います。

人はすべからく先人たちの種です。

植えた翌日に芽を出す種もあれば、蓮の種のように何千年も後に咲く場合もあります。

その違いを知らずに揶揄しあざけり、嘲笑のネタとしている者たちもいますが、種にも器量がありますから、咲くまで待つのが一番でしょう。

私の場合はたまたま遅かっただけです。

ただ咲いたからには、息子の心に鮮やかに残し、彼の将来の指針になればと思っています。

特に息子が生きていく将来は、もっと精神的な高さが必要になってくるような、そんな世界が来るように思います。

私の場合は修行することが人生の意義のほとんど全てですが、息子も生きて行くに当たって、生涯を通じて歩むべき理を持ってもらえたら嬉しく思います。

SD110809 碧洲齋