不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

律ということ

自らを律する、という命題は、人間である以上誰でも関心があることに違いない。

ましてやある道を修行している者なればなおさらだ。

禅宗などの僧堂では集団で修行する。

1人1人ではどうしても自ら律することができないからだ。

よほど意志の強い人間以外では、たとえ厳しい修行を積み重ねてきた禅僧でさえも、かなり難しいのだ。

律する必要がそもそもない人もいる。

例えば権力者。

現代では選挙で選ばれるのだから多少の肩身の狭い思いはあるものの、基本的には権力は使いたい放題だ。

今回の地震で政府の対応のお粗末さは国民にとって呆れるばかりだった。

対応が早い遅いとか言う意味ではない。

政府の長たる総理大臣の言動に誠実さ信頼性が欠けているという、致命的なことが問題だと思う。

一方で今度もほとほと頭の下がる対応をされていらっしゃる方もいる。

言うまでもない天皇陛下だ。

恐ろしいほど自分を律している。

詳細はヤフーニュースの皇室関連などにたくさん載っているから読んでみてください。

至高の位を戴く人が、国民もしないような厳しい締め付けを自ら実践していることに対して、本当にありがたく思う。

陛下のお年を考えれば、ちょっとは楽をしたいと思うに違いない。

至高の御身なれば、多少の贅沢をしても普通は許される。

しかしそれをはねのけ、ご公務で忙しいにもかかわらず行幸されたり、節電等を実践したりと、本当に心服する思いだ。

中国では王朝が何十回も変わり、皇帝は何度も殺されたりした。

そして今、世界に「Emperor」なる人間はここ日本の天皇陛下のみとなった。

外交慣習で言えば、天皇陛下と肩を並べても良いのはせいぜいローマ法王ぐらいではないだろうか。

大統領とか国王でも格が下になる。

いつぞや一介の軍司令官が先帝陛下と肩を並べて撮影した写真があったが、さすがに同盟国からですら非難された。まあ若い国の若気の至りと言うことだ。

日本国民のほとんどが皇室に対してある意味絶対の信を置いているのは、権威や伝統などではなく、両陛下の一挙一動が真実みに溢れているからだと言うことを知っているからだと思う。

「両陛下のご訪問は、被災者にとって何よりの薬。行政が(村民が避難生活を送った)4年5カ月かけて一生懸命がんばっても、両陛下の一言にはかなわない」

島が噴火して被災した東京都三宅村の平野祐康村長の言葉だが、これはひとえに陛下をはじめ、皇室の皆様が日夜自らを厳しく律してきた証ではないかと思う。

そう陛下を思えばこそ、武芸などにも打ち込んでいるはずの我が身は、もっと律しなければいけないと思うのでした・・・。

SD110502 碧洲齋