不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

臘八坐禅会 7日目

やっと終わりました。

長いようで短い1週間でした。

今日は坐禅と提唱の後、恒例のおでんが出ました。

ちくわと八頭、ゴボウ巻、ナントカ大根、油揚げに漬物だけですが、量があります。

これを目当てにしていたので、今日は昼飯抜きでがんばりました(笑)。

7日間で合計約11時間坐った計算になります。

はてさてその甲斐ありやなしや。

【第七夜】

第七夜示衆に曰く、一子出家すれば九族天に生ずと。夫れ出家は、須く真の出家を要すべし。所謂真の出家とは大誓願を奮起し、勇猛精進にして直に命根を断ずれば豁然として法性現前す。是を真の出家と謂う。九族生天も亦真実にして虚しからず。昔播州に一人の女人あり。懐胎の夜に当たって自ら願を発して曰く、此の兒若し男子ならば必ず当に出家せしむべし。其の夜夢に一の老人有り。来り告げて曰く、吾は此の家九代以前の祖なり。死して冥府に堕して無量の苦を受く。而今汝が勝願力に依恃して永く地獄の苦を脱するを得たり。又甲州に良山和尚という者あり。徒を匡し衆を領ず。臘八例によって衆を禅坐す。一夜其の亡母刀を携え来たって直に腋下を刺す。大いに叫ぶこと一声、血を吐いて悶絶す。山、良久して蘇る。次の日俄かに衆と別れて行脚す。一鉢三衣、 風喰露宿。師を尋ね道を訪い年を経て禅定頗る熟す。三昧に入らんと欲す時に亡母復来り現ず。わずかに眼を挙すれば即ち隠れ去る。他日深く三昧に入る。あたかも海の湛然たるが如し。亡母来り復告げて曰く、吾始め冥府に入る。鬼卒皆敬して曰く、是れ出家の母なりと。都て苦悩なし。豈思わんや、公の壮なるに及んで獄卒皆曰う。将に謂えり。是れ出家の母なりと。却て是れ俗漢の母なりと。鉄棒鉄枷、呵責言うべからず。其の恨骨に徹す。是の故に先の夜来って汝を刺す。 然して汝悔て寺を出でて行脚す。中ごろ来って公を見るに消滅の念猶未だ尽きず。故に隠れ去る。今、定慧殆んど明らかなり。吾が苦患亦尽きたり。特に天上に生ずることを得たり。故に来て謝を告ぐるのみと。茲を以て之を観れば汝等咸く皆父母有り。兄弟有り。眷属有り。生生を持って之を数えば則ち豈惟千万人のみならんや。悉く皆六道に輪廻して無量の苦を受く。汝等が成道を待つことは猶、大旱に雲霓を望むが如くならん。如何んぞ悠々として坐ながら之を見て大願を発せざらん。光陰惜むべし。時人を待たず。勉旃勉旃。

【現代語訳】

第七日目の夜、大衆に示して言われるのには、一人が出家し仏門に入れば九族(高祖父・曽祖父・祖父・父母・子供・孫・曾孫・玄孫)は天上界に生まれることができる、と。しかし、出家といっても真の出家でなければならない。すなわち、四弘の誓願を奮い起こし、勇猛果敢に精進し妄想煩悩を払って三昧を深めていくならば、迷いがからりと晴れて本来の自己(無相の自己・空・無・自他一如)が現われるのである。これを真の出家というのである。「九族天に生ず」とは本当のことであり、決して作り話ではないのである。昔、 播州にある女性がいた。子供を授かるに当たり「もし、男の子だったならば、出家させてください」と祈願した。その夜、夢に一人の老人が現われ、次のように 言われた「私はこの家の九代以前の先祖である。死んで冥府(地獄)に入っていいようの無い苦しみを受けてきた。しかし今、あなたが祈願してくれたお蔭で長い間の地獄の苦しみを脱することができたのだ」と。また、甲州に良山和尚という人がいて寺で弟子をとって学問の指導をしていた。臘八になったので 弟子たちと坐禅をした。すると夜になって、亡くなった母の霊が刀を携えて脇腹を刺した。「ギャッ!」と叫んで血を吐いて悶絶してしまったが、しばらくして蘇生した。次の日、突然思うところあって、弟子たちに別れを告げ、寺を出て行脚に出かけた。最低の所持品のみで、野宿をしながらあちらこちらと師匠を探し、道を尋ね年月を重ねるうちに禅定(三昧力)が非常に深くなってきた。あるとき、坐禅をしようとすると亡くなった母がスーッと現われてきた。よく見ようと少し眼を上げるとすぐに隠れてしまった。その後、坐禅をしてちょうど波ひとつ無い海のように深く三昧に入った。するとまた、亡くなった母が現れて次のように言った「私が始め地獄に入った時は、鬼たちがこの人は出家の母であると尊敬し、何の苦しみもなかった。だのに、あなたが壮年になってからは、真の出家でなかったために却って俗物の母であるといわれ、様々な拷問を受けてきた。その苦しみは言い尽くすことのできないものであった。それで、以前夜になってわき腹を刺したのだ。しかし、あなたは気づくところあって寺を出て行脚に出かけた。先ごろ来てみると、あなたは思慮分別心がまだまだ無くなってはいなかった。それで隠れたのだ。今、あなたは禅定を深め智慧を発露して真の出家となってくれた。それで、私の苦しみも無くなり天上界に行くことができた。それで、お礼を言いに来たのである」と。誰にでも両親や兄弟や親戚がいるが、これを数えると大変な人数になる。それらの人々は、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道を輪廻して苦しんでいるのだ。ここにいる修行者それぞれが成仏得道し、真の出家となることを、皆待ち望んでいるのである。どうして心の底から願心を起さないのだ。月日の去るのはアッという間である。時間は待ってくれはしないのだ。さあ、しっかりしっかり。

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私の仏、不動明王

SD101207 碧洲齋