不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

臘八坐禅会 4日目

今日は臘八大摂心の中日です。

僧堂ではこの日がもっとも苦しいのだそうです。

寝ずに7日間坐禅というのは聞いただけでもぞっとします。

師曰く、考えられなくなった状態が一番禅定に近づけるのだそうです。

個人的な経験でも確かに稽古でも疲れてきて力みがなくなってきた頃が最高の技を産み出します。

今年はあまり寒くなく、坐るための気温としては最適のように感じます。

【第四夜】

第四夜示衆に曰く、数息観に六妙門あり。所謂数、随、止、観、還、浄なり。息を数えて三昧に入る。是を数という。息を数えて漸く熟すれば唯出入の息に任せて三昧に入る。是を随と謂う。十六特勝等、要を以って之を云えば数随の二字に帰す。故に初祖大師曰く、外、諸縁を息め、内、心喘ぐこと無く、心牆壁の如くにして以って道に入るべしと。内、心喘ぐこと無しとは根本に依らざるなり。心牆壁の如くとは直向前進する也。此の偈甚深なり。汝等請う。試に本参の話頭を取って牆壁の如く直に進み去れ。たとえ土を以て大地を撃ちて失する事あるとも、見性は決定して徹せざる事なけん。努力せよ。努力せよ。

【現代語訳】

第四日目の夜、大衆に示して言われるのには、数息観に六つの妙門がある。それは「数・随・止・観・環・浄」である。息を数えて三昧に入る、これを「数(数息観)」という。息を数えて徐々に機縁が熟してくると、自然と出入の息に任せて三昧に入ってくる、これを「随 (随息観)」という。十六特勝(イメージ法と呼吸法とを組み合わせた十六種類の方法)な十六どのやり方があるが、結局、最も重要なところは数息観と随息観なのである。ゆえに、初祖菩提達磨大師は、「外、諸縁を息め、内、心喘ぐこと無く、心、牆壁(しょうへき)のようにして道に入れ」といわれている。「内、 心喘ぐことなく」とは心(腹)をしっかりと定めて、「心、牆壁のように」とは無心に突き進むことである。この偈には深い意味があるのだ。さあ、皆さん。 今、取り組んでいる公案を拈提して無心に突き進んでいけ。そうすれば、必ずや見性することは間違いのないことである。努力せよ、努力せよ。

SD101205 碧洲齋