先日、「宇宙戦艦ヤマト」の話が出たばかりでしたが、息子から「やまと」って何?という問いが来ました。
大和民族とか大和魂とか言われますが、私なりに考えている「やまと」についてちょっと述べてみたいと思います。
10年以上前ですが、私は以前日本語学校で教鞭を執っていた時期がありました。
そのせいもあって、言葉の語源に関しては比較的興味がありました。
合わせて歴史や考古学が好きなこともあって、割に色々調べていたように思います。
Wikipediaなどを調べてみると分かりますが、「やまと」の語源は諸説あって
* 山のふもと(→倭参照)
* 山に囲まれた地域であるからと言う説
* この地域を拠点としたヤマト王権が元々「やまと」と言う地域に発祥したためとする説
* 「やまと」は元は「山門」であり山に神が宿ると見なす自然信仰の拠点であった地名が国名に転じたとする説
* 邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説
(以上ウィキペディアより)
などなど、色々あります。
多分これらはかなり事実に近いように思います。
皮肉になってしまいますが、由緒明らかでない言葉を堂々と冠していること自体、日本人のものの考え方の一つだと思います。
私はもう少し掘り下げてみたいと思いました。
まず漢字は中国から来たソフトウェアです。だから元々のやまと言葉とは何の関係もないものでした。やまと言葉と漢字の概念が似通ったものを付け合わせただけです。だから漢字と関係がなくても全く差し支えありません。
「や」物質に対してはやわらかい、心情としてはやさしいで使われる音だったそうです。古代日本では柔軟性、そしてそこから曲がった状態(曲がれる状態)を指し示したそうです。「やなぎ」などは「やわらかい、曲がりくねる木」です。
「ま」今でも使いますが、時間と空間を指していたようです。転じて中心を表す音のようでした。(転じたのは逆かも知れませんが)また、古代では同音かどうか失念しましたが、眼を指していました。転じて前方を指していました。ま→めです。
なので、「やま」は曲がりくねったところ、となります。
「と」人、門、英語のandの概念などがありますが、私はどれでもいいと思います。
(上記のやまとことばの音については手元の書籍を処分してしまったので、曖昧な部分もありますがご容赦ください)
私は少し前から「やまと」を「真の寛容を持った人(たち)」とか、そんな風に考えるようになりました。
話は変わりますが「イヴの七人の娘たち」(ブライアン・サイクス)という本があります。7億人以上もいる欧州人のミトコンドリアを調べると、何万年も前に遡るとたった7人の女性に辿り着くという論が記されています。細胞の中のミトコンドリアを調べていくと、その女性たちがいつの時代のどの辺りにいて、概ねどんなことをしていたのかも分かるそうです。なかなか現代の科学はすごいものがあると感心しました。確か一番最後の章だったと思いますが、もっと驚いた事実が記載されていました。日本人の遺伝子も同様に調査すると、日本人の場合は9人ものイブに辿り着くとのことです。1億人ちょっとでこんな狭い島に住んでいる民族のルーツはヨーロッパのそれよりもバラエティーに富んでいるのです。これは著者自身も驚いていたようです。
大昔、大陸や北方、西方、南方から少しずつ様々な民族がやってきて、どういうわけか地震や自然災害の多い、このちっぽけな島が気に入って住み始めたということです。
ご存じだと思いますが、欧州や隣の中国では城は都城と言って、町ごとをぐるっと壁で囲んで外敵に備えます。日本には縄文時代や弥生時代に一時期はやりましたが外国のようなものにはなりませんでした。
色々な民族が入り込んできた日本に、上記のような排他的な考えがあったら今に至っても戦乱が絶えなかったことでしょう。しかし今は反日国家ですら認めざるを得ないほどに道徳にしても平和にしても秩序にしても高いレベルを保持しています。数少ない一言語、一文化、一国家です。アジア唯一の先進国、先進国で唯一の非基督教国です。これは非常に興味深いことだと私は思っています。
教育勅語という、明治天皇がお書きになった文があります。その冒頭はこうです。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス」
(訳文)
「私(明治天皇)は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。」
神武天皇が実在されたのかどうか分かりません。が、これに当たる方、皇室のずっと昔のご先祖様とおぼしきこの小さな島国で、たぶん一番強かった部族の長が四方からやってくる民に対して、真の優しさ、真の寛容を持った人(部族)たろうと決めたのだと思いたいです。そしてそれが「やまと」ではないかと想像しています。そしてそれは今に至って世界に燦然と日本の名を知らしめています。異民族と争わない、和を以て貴しとする心がそうさせたのかなと思いました。そう考えるとこの教育勅語の奥深さを思い知らされます。
和は輪であり古来は私を指しました。「わ」という言葉が日本を指し示すようになったのも象徴的なように感じます。
・・・と、私の「やまと」はこんな「やまと」ですが、これに基づいて息子にも「和」の心を伝えていきたいと日々精進しております。
SD101120 碧洲齋