不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

私が好きな短歌に寄せて

"実るほど 頭を垂るる 稲穂かな"

"下がるほど その名は上がる 藤の花"

時々、度が過ぎて頭を垂れ過ぎて地面に激突させる方や、下がりすぎて見苦しすぎる場合もありますが、大方日本人のこの謙譲の美徳は現代に於いてもうまく作用しているように思います。

私自身、幸いにも20代の約半分を海外で過ごし、人生の半分以上は外国人と付き合いを持ってきている中で、やはり日本人の謙譲の美徳には素晴らしいものを感じます。まあ、その分歳を食ってきたとも言えるかも知れません。

英語では何でもかんでもいちいち主語を付けねばなりません。自分だったら"I"ですが、時々エゴの多さに"Intelligence"も"愛"もあったものではありません。見苦しいです。気分が悪くなります。食傷気味ですが、文化の違いだと言い聞かせてこのエゴの連発を我慢しています。

これは日本特有の文化なので、外国人たちには分かって頂けなくても当然と思わねばなりませんが、幸か不幸か世界的に見て日本の評判はかなりいい方です。そのおかげで海外に行くとパスポートなどはまさに水戸黄門の印籠並みの力を発揮します。それは多分、今後産業競争力が落ちてきても変わらないと思います。

日本人にも外国人にも控えめの文化は海外では通じないという手合いがいますが、私はそう思っていません。いつだったか英国の保険会社は「すみません」のひとことがあれば毎年数十億円の保険金が浮くという試算もありますし、それを信条としている日本自体、製品にしろ民族にしろかなり高いレベルであることは世界中の人が知っています。日本が嫌いな国は数えるほどしかありません。この方法は控えめに言っても(笑)成功を収めている方法なのです。

当の日本人はグローバルスタンダードとか言うまやかしに惑わされています。「もっといい国があるはずだ」と右往左往しています。そんな国はありません。北欧諸国のような福利厚生がとんでもなく進んでいる国がいいという人もいます。米国みたいに自由が満喫できる国がいいという人もいます。リゾートばりの観光地そのものが国になっている国がいいという人もいます。それらはその国のごく一面、しかもその国が見せたいと思っている一面でしかありません。しかし本当に真剣にその国の国籍を取得しようとしている日本人は余り見かけません。大抵は日本国籍を手放したくないのです。

外国人のご親切で厚かましいご注進にはメロメロに弱い日本人も、こと国籍とか宗教、文化様式に関してはかなり頑固な点はまだまだ日本人の心が確固たるものである証拠ではないかと思っています。日本人は米国豪州のように代々移民を繰り返してきていません。ほとんどの人は多分、石器時代からずっと日本にいた人たちの子孫です。だから他国にあこがれを持っていても、一族郎党を挙げて他国の国籍を取得すべく、血眼になっている人というのは日本人にはほとんどいません。その辺り中国とはエライ違いです。

日本人のこの便利な習性を利用して一儲けしている輩もいます。グローバルな見方、超長期的な見方をすれば、こういう手合いはやはり歴史の中では負け組のように思います。逆にこの日本人の得難く素晴らしい知恵を得た外国人はかなり人生が豊かになっているようにも思えます。

近年、謙譲の美徳を聞かなくなってきましたが、この日本人の考え方を是非世界に広めて、本当の意味で世界平和に貢献したいところですね。

SD100603 碧洲齋