不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

悟後の修行のこと

あくまで私個人の意見なのですが、今まで出会った武芸者はおおむね二つの種類に大別できます。

1、自分が確信したことに絶対の信を置き、その前提で稽古をする。

2、確信したことも「これで本当に正しいのか」と疑って稽古する。

1と2を行き来する人もいますし、ずっとどちらかのままの人もいます。

どちらが正しいという類の話ではありません。

正直に言って、どちらも正しいように思っています。

強いて言うなら、どちらかのままでいることはあまりよくないようには思います。

私の場合ですが、1が10-20%で残りが2でしょうか。

時と場合によって変化するように思います。

最近になって思い浮かぶ言葉が幾つかあります。

ずっと昔ですが、宗家の稽古の時に、こんな事を口にしていました。

「人間、悟ったらおしまいだ。悟ったと思ったら変化しなくなる。」

当時は額の真ん中で「ピカリ」と閃き、奥義を体得したいと夢想していた少年でした。

今はこの意味がはっきりと分かったように思います。

もう一つは師事している老師から聞いた言葉で、禅の修行段階の一つです。

「悟後の修行」

禅では悟っておしまいではなく、悟った後の修行があるという意味です。

時計でたとえると始点が12時、悟りが6時、6時から12時が「悟後の修行」なのだそうです。

確信を得たり、悟りがあっても、さらりと流せるようになれと言うことかも知れません。

また元に戻ってきた12時と前の12時、何がどう違うのか、これはまさに悟った人のみぞ知る境地でしょう。

私は閃きや悟り、確信の類は間食、おやつだと思うようにしています。

甘くておいしいものでも、やはり主食、日々の地道な修行こそが肝要だからです。

そんなわけで日々の稽古を積み重ねていきたいものです。

SD100201 碧洲齋