今から75年前の今日、東京にて米軍による大空襲が行われて10万人以上の一般市民が殺害されました。東京大空襲のみならず連合軍は欧州に於いても大規模な絨毯爆撃を行っており、軍人による一般市民の殺害という点では実はかなりの数になります。ナチスドイツと手を組みはしたが日本は間違ってなかった、とか、米国の正義が正しいとか、そういうことにはそれ程興味がありません。
戦争が戦争たる所以は互いの正義がぶつかり合うというその一点にあるためです。片方が悪と自覚しながら戦争をした国など恐らく歴史上ひとつもないはずです。そんなものは一昔前のアニメや映画だけではないでしょうか。最近のアニメや映画でも凶悪と思われた敵側にも一定の言い分があったりします。その辺りは人類の精神的年齢が若干上がった成果と信じたい。
軍人が一般人を殺害する、これは良くないことであることは明白です。これを全くしなかった軍隊は程度に差こそあれ、なさそうです。なお日本では56万人近くの民間人が空襲で亡くなっています。
故にこの命題を国際間に提示しても恐らく永遠に解決しないと思います。全く話し合わないわけにはいきませんが、取り敢えず今は正解のない命題だと思います。
私たちが諮るべきは先の大戦の犠牲者に見合った平和を今、我々が作り上げているかどうかに尽きます。日本はまあまあ、犠牲に見合った国家にはなっていると思いますが。
私は毎年、東京大空襲の日や終戦記念日には両親の家族があの戦争を生き延び、私が生まれてきた意義を改めて考える日にしてます。そして私は多分、犠牲者たちの価値が上がるような努力はしていると思います。更にその活動を高めれば再び戦争になることを防ぐための微力にはなると信じています。
本日は懇ろに仏壇に手を合わせました。
令和弐年弥生十日
不動庵 碧洲齋