不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

広い世界で狭くなる - 壱

土曜日、20年来の付き合いのある友人夫婦と私と妻とで食事に行きました。

4人に共通しているのは「日本語教師」。外国人に日本語を教える仕事です。

留学から帰国後、すぐ興味を持ったのが「日本語教師」で、アルバイトをしながら日本語教師養成講座に通い、修了後にそこで採用され、そのまま豪州に行きました。

以後、地方都市などに行ったりしましたが、その頃からの付き合いになります。

一応、全員が海外で日本語を1年以上は教えた経験を持ちます。

私が日本語教師をしていた頃はバブルが崩壊して間もなくの頃ではありましたが、海外からの留学生や研修生は少なくなく、主に中国や韓国から日本にやって来る人が多くいました。

そもそも日本語を学ぼうと志す人たちは、英語を学ぼうとする人たちと決定的に違うのが「実利性」。英語やフランス語、スペイン語というのは日常生活に必要だから学ぶ、もしくは自然に身に付けるのです。これらの言語は発祥の国以外でも使われていて、主に元植民地の宗主国ですが、今なお色濃く残っていると言うことです。

そういう国の国民が一念発起して外国語を学ぶほとんどの理由は「お金になるから」。カルチャーやアカデミーな理由で優雅に外国語を学ぶ余裕がある国はそう多くはありません。日本人が外国語が苦手なのは日本では外国語習得は生活上、学問上ほとんど必要がない上に、海によって海外と隔てられているからで、日本人の頭が悪いとかそういう理由ではありません。科学的に考えれば単純に生活環境だけです。

そういうことで国内外を問わず、日本語学習者たちに日本語を教えるときはまさに真剣勝負。彼らは大枚をはたいて、レアチャンスを賭けて、ジャパンドリームを夢見ている若者たちです。瞳には紅蓮の炎のが燃え盛っている人が多い。運が悪いことに日本は植民地と呼べるようなものはほとんど持っていなかった。朝鮮と台湾ぐらいですが、それでも30年ちょっと。インフラ整備や「新国民」の暮らしぶりをよくするためには大枚をはたきましたが、言語を以て制するという視点に欠けていたために日本語の教え方はあまり研究されてきませんでした。

日本人は今なおあまり深く考えていない人が多いですが、海外では「言語」をどう扱うかという問題は国家の死命を制する重大案件です。かの大英帝国でも植民地から資源を如何に効率よく搾取できるかという意味で、現地の原住民に効率的に英語を教え込むことができるか、と言う意味で英語教育は国家事業でした。今では数百の英語教授法があると言われています。英語の話者数は5億人ちょっと、日本語は1億3千万人。そう考えると日本語教授法も10か20ぐらいあってもよさそうですが、それが英語戦略と日本語のローカル性の違いです。日本語はそういう意味で完全にガラパゴスなのです。そして幼稚園から大学院、最先端科学まで完全に網羅している、完全独立系でしかも原初不明なほどに古い言語なので余計にたちが悪い。隣国の朝鮮語にも中国語にも僅かな類似性以外は全く違う言語というのもある意味おもしろいですが。

世界で反日の国は中国と韓国(北朝鮮は除いて)ですが、世界の日本語学習者数約400万人のうち、半数近くはそれらの国です(苦笑)。なので海外で教えたことがある日本語教師が観ている世界観と、日本国内で日本語のサイトばかり見ている愛国者との世界観はかなり違う。近年ではその二ヶ国の割合は相対的に減りつつあり、変わって東南アジアや他のアジア諸国の学習者数が増えてきているとか。

機運的に今は従来のような東アジア学習者が大半を占めているという図式からもっと広がりを見せている気がします。機が熟してきたのかタイミングなのか、バブルで物作りからもう一つ上のレベルになってきたのか、色々な要因はあるにしても世界が日本をもっとよく見るようになってきたのは間違いありません。

日本語は英語やその他、植民地をたくさん持っていた国、共通言語のある国と違い、日本イコール日本語ですから、言語構造を以てして日本人のものの考え方を体現できます。これは日本を理解させるには好都合と考えています。

欧米人が日本をどう観ているか、これは実際に欧米圏に行って住んでみたり、長年欧米人の友人を持たないと分からない部分があります。今まで彼らは日本の製品を通じてはいましたが、理解不能に近い日本人たちと距離を置くことはできました。しかしインターネットが普及してからはぐっと距離が近くなり、意思疎通もしやすくなってきたことから精神的な意味での興味を持ってきたのではないかと思っています。私が外国人と接するようになってきた30年前に比べて「サクラ・フジヤマ・ハラキリ・ゲイシャガール」より遥かに欧米人の興味と知識は増えてきました。来日外国人者数が年間1000万人を遥かに超える今、日本人の異国文化に対する受容能力、理解力を増やしてもらいたいところですがいかに?

今、海外に駐在、長期赴任している人の数はざっくり130万人だとか。つまり国民100人に1人が長期的に海外にいる計算になります。勉強不足でそれが多いのか少ないのか、よく分かりませんが、日常的に外国人と接している日本人の割合が少ないことは分かります。こればかりは言語の問題ですが、深い話しをするにはやはり日本語かその広野母国語をよく理解している必要があります。昨今の若者には覇気がない、というのがその食事時にみんなで一致した意見(笑)。ガッツがないというのか草食系というのかさとり世代というのか。豊かな時代に生まれたため仕方ない気もしますが、それでは世界に負けてしまう。科学技術然り、スポーツ然り、伝統芸能然り。今の若者がメインになる20-30年後、日本は文化大国のままであるか、科学技術立国のままでいられるかと計った場合、それは容易ならざるものだと思います。このレベルを維持したとしても、今発展途上国という国々が伸びててきた時、日本は埋もれてしまいます。

私は武芸もかじってますし、禅も細々と10年以上やってます。その上日本語教師もしており、今なおフェイスブックなどで日本の文化伝統習慣哲学などを海外同門たちに紹介していて、結構な愛国者のつもりですが、今の風潮は正直どうかと思うことがあります。自分たちが言いたいことはたくさんあります。欧米の理論の理不尽さに文句を言って気分を晴らしたい。数の少ない反日国に敵意むき出しにして論破撃滅したい。世界に日本民族の優秀さを誇りたい。etc, etc.

そうではないのです。それは単に日本国内の社会の不満をぶつけているとか、社会の不安を裏返しているだけです。私の個人的経験と観察では、今の祖国礼賛の多くはいささか食傷気味、雅量、品位に欠けます。それらの愚行は日本が世界に在って、生き残るだけでなく今以上の地位を確立し、今以上に敬意を払われるためには全くのマイナスです。幸いなことにそういう人たちは日本語だけで喧々囂々しているので助かっていますが、そんなのを英訳したりして外国人たちと一戦やりあったりしたら間違いなく日本の品位に傷が付く。この辺り、日本人の世代的精神性の退化が観られるように思います。

日本はかなり特異な国であることは間違いありません。そして結構運のいい国であることも然り。それだけに欧米諸国と同じ土俵で相撲を取っても負けます。70年前のことを執拗に掘り起こして相手に突きつけても無駄とは言わないまでも相手を納得させるのはいささか難しい。日本人が欧米人の特性を理解していないというのもありますが。要するに宣伝の仕方を間違えている。日本は300年後にも生き残って、しかも今と同じかそれ以上のステータスを維持させたいと、私は思っています。それは経済的なものには非ず。経済の中心地は産業革命後、世界中を転々としていますから、金のあるなしではありません。政治的影響力でもありません。隠然とした文化力、伝統や歴史に裏打ちされた国民性、そういうものです。日本のそれに限って言えば、先の大戦で政治力や経済力では破壊できませんでした。しかしこれから数世紀、日本人のままに世界的な地位を維持したいのなら短絡的な祖国礼賛、軽薄な愛国心ではない、別の見方を持たねばならないと思っています。何が重厚で何が慎重かは各々考えて欲しいところではありますが。私には日本の生き方を、薫香の如く世界中隅々にまで広めるにはどうしたらいいのか、私なりの考えはあります。

気付けば長くなってしまったので、一旦筆を置きます。

平成二十七年水無月二十九日

不動庵 碧洲齋