不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

人を察するということ

先日、独逸同門から依頼を受けて道場名を創作しました。

基本、武号とか道場名というのは重要なものなので私のような下っ端如きが考えるものではなく、宗家やもっとエラい古参師範とかにお願いするのが筋ですが、友情を感じたり恩義に感じたり、考え方に感じ入ってくれたりと、色々な理由で是非にとお願いされますが、何度か語り合って親しくなった人で、どうしてもという人にだけ、考えてあげることがままあります。

時々道場名や和号というのか武号というのか、欧米人故に奇妙だったり可笑しかったりしてマッチしていないものもあったりするので、せめて親しい友人にはと思うということもあります。

先日の独逸同門は独逸生まれですが両親はれっきとした韓国からの移民という経歴。

今まで何度か来日した折には道場で稽古をしたことがあります。

昇段とかしたのでしょうか、よく分からないのですがどうしてもとお願いされたので検討すると伝えました。

彼に対して興味を抱いたのは名前。

前のブログに書いたように、東アジアの人、特に海外志向の人はやたらとイングリッシュネームを使います。

海外に行ったことのない人でも持っています。韓国は分かりませんが、中国の上海と香港はそうでした。

ところが彼はれっきとした独逸生まれの独逸育ちなのに普通に発音しにくい韓国名を使っています。

でも話しをするとこれなかなか哲学的な漢で、これならと思い受けました。

多分両親がそういう人だったのだと想像します。

海外志向といって舞い上がらない人だったと思います。

アジア人だからといって決して卑屈に生きなかったのではないかと想像します。

移民で成り立っている米国や豪州ならいざ知らず、よりによって独逸です。日本人こそしのぎを削る好敵手としてみているようですが、逆にいえばそれ以外の民族などはどれ程と見なしていることか。

そういうところで英名も使わず本名で堂々と生きている人間にはやはり何か特別なものを感じます。

日本人は英名を使いませんが、自分で言うのも何ですがハッキリ言って日本人は特別です。

今時の中国や韓国の突き上げや反日活動には全くいい気はしませんし、国益を損なうことに対してはハッキリと対決姿勢を持っています。そういう友人も支持しています。

しかし実際のところ、今まで海外に留学したり赴任したときに出会った中国人や韓国人のうち、意地悪く見積もっても75%以上はいい人でした。政治や歴史、宗教の話しもしました。中国で共産党についても話しましたよ。きわどかったですが。実際、海外に観光以外でいる人の資質というのは違うのでしょうし、ネット上、メディア上で喚いている人の資質というのも必ずしもその国を代表しているのではないと想像します。

門下や知り合いにも何かと右とか左とか親日とか反日とかさもなければ保守か革新という色眼鏡だけで人を判断する人も散見されますが、世の中はそんな単純にできていません。今時の特撮ヒーロー戦隊の世界だってもう少し複雑です。

ネット上でたくさん見ているとその国の風土を良く知っているつもりになってしまいますが、実際に行ってみるのとネット上では大変大きな違いがあることの方が普通です。これはなかなか海外に行って体験しないことには何とも分かりにくいものです。海外に行くだけではダメで、やはりそこそこコミュニケーションも取らねばダメです。行かないよりも観光でも行った方がいいですが、できたら観光でもなるべく積極的に交流を図らないと分からないと思います。(すみません、純粋に観光で海外に行ったことがないので、海外の団体旅行とかのイメージが分かりません)

国で人を判断するのは止めましょう。

人種も然り。

職業で人は分かりません。

学歴でも人は分かりません。

社会的地位でどれ程人が分かるというのか。

収入で人柄が分かったら何の苦労もしません。

こんなことで人を判断するからバカを見ることが多いのです。

割と平均値が近いものをもって生きている日本人にはなかなか体感として分かりにくいかも知れません。

何でこんな偉そうなことを言うのかと言えば、武道関係で今まで50-60ヶ国以上の同門が入れ替わり立ち替わり来日してきた折に交流したり、仕事や留学で海外に行った折に、やはり色々な国の方々とお会いした経験から、言わせて頂きました。

話しが大風呂敷になった感ありですが、私の場合、こういった海外同門のちょっとしたことで人柄を判断してます、ということでした。

平成二十六年師走十九日

不動庵 碧洲齋