不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

紙と中国

私が中国史にハマッタのは今から30年前、高校生になったかどうかという辺り。

中国文学者として高名な守屋洋先生の著書「中国武将列伝」を読んだときでした。

以後、取り憑かれたように中国史諸子百家を読み漁りました。

高校生には徳間書店の箱入シリーズの本、1冊1800円というのはキツかったのですが、全シリーズを揃え、孫呉の兵法などは文字通りボロボロになるまで読んだものです。

数学とかは全然ダメでしたが、漢文や世界史などはまずまずよかったですし、漢文に限って言えば高校の先生にしょっちゅう訂正を求めていたほどでしょうか。今思えば可愛げのない高校生でした。

この1980年代は、まだ中国に対して好感度が高かったように思います。

守屋洋先生は文学者ですから現在の中国の政治経済に関してはあまり深く言及していないようですが、個人的にそれは文学者としていいことだと思います。

この頃の中国はまだ貧しいといっても差し支えなかったでしょう。

この数年前に両親が北京に観光に行ったのですが、やはり想像している通りの中国でした。

この頃の私は中国人というのはこの守屋洋先生が書かれている歴史上の人たちの延長という風に捉えていました。

数年後に留学して、同じく留学してきた共産党幹部と思われる人と接触して大いに失望したものです。

その守屋先生が本に書いていたことですが、中国の街では市民は紙を大切にして、新聞のチラシの裏や要らなくなった書類の裏紙を大切にして、ものを書くのに使っていると言うことでした。

もちろん、今の中国の大都市ではそんなことはないように感じます。

田舎の貧しい村々なら、まだそうしているのかも知れません。

高校生の時分、この話が妙に心に残っていました。

今、私は仕事をしていて、自分が出力したものや同僚が出力したもので、不要になったものをこまめに裏紙として利用しています。大きさは大抵A5ぐらい。会社のメモでも使っているのは言うまでもありませんが、自宅に持ち帰って息子に使わせたり、自分のロシア語の勉強に使ったりと、大変重宝しています。今ですとタブレットに書けばペーパーレスになるとも考えて、一度はタブレットでもやってみたのですがやはり紙にペンで書くのが一番よい。

タブレットでは書いた気がしないんですね。私はいまいちでした。

昨今、日本社会を見るに経済不況も手伝って、ものを大切にする、節約するという従来の日本人の考え方に回帰していている感ありです。よいことです。大風呂敷で気前よくと言う中国のやり方が必ずしも悪いと思わないのは、昔はそれができた人は少なかったから。多くの人がそれができるようになった場合はやはり、節制することが美徳と思えるような教育の方が間違いありません。今の日本がそうかというととんでもないですよ。中国人よりマシというのは全く褒め言葉になってませんから。

欧米人の一般市民の方がよほどものを大事にしてます。

元々贅沢をよいものだと捉えてない日本文化には他国にはない一日の長がありますが、世界でも有数の先進国で、多くの国から比較すると長いことどっぷりと贅沢に浸り尽してしまってきている今、ほんのちょっと我慢する、ほんのちょっと不便を忍び、楽しみを見つける、そういう古来からのやり方を見直した方が環境にも未来にも良さそうな気がします。

平成二十六年師走二十二日

不動庵 碧洲齋