ヤマモモの木
先日の日曜日は埼玉県寄居町にある鉢形城に行って参りました。
そこの城主だった北条氏邦公の供養祭をするためです。
氏邦公の菩提寺は鉢形城からほど近い曹洞宗正龍寺。なかなか立派な寺院です。特に私は仁王像が気に入りました。
時代祭ではないので皆ゆるりと着替えて、のんびりと行事が行われました。
氏邦公の墓所は寺の裏手、霊園の小高いところにあるのですが、そこから寄居町が一望できます。その折、遠くにホンダの工場が見えたのですが、私が勤務する会社に以前ホンダに努めていた社員がいたのを思い出しました。今、彼は何か健康を害しており、週に2.3日は夕刻早退して透析を受けているとか言っていたので、そういう大変な社員がいることをなにげに話しました。
思いがけずその方から「その社員は凄くわがままじゃないですか」と聞かれたので、まさにその通り。病気になってからなのか、元々なのか分かりませんが、よくわがままだなぁと苦笑せざるを得ないことがあるので、その通りだというと、その友人は透析科勤務の知人がいて、透析に来る患者にはわがままな方が多いという事でした。週に何度も数時間も機械に縛られるので仕方がないと言うことでした。私も同僚の自分勝手さに少々腹が立つこともある反面、逆の立場だったらやはり多少なりともわがままにはなるだろうなと想像することがたびたびあります。というより自暴自棄になりかねません。多少わがままでも淡々と仕事を継続している姿はそれなりに敬意に値します。本来なら仕事をしなくとも保険などで十分生活できるらしいのですが、私よりも幾つか若く、家にいるよりは仕事をしていた方がよいと言うことのようですが、気持ちは分かります。
道路を挟んで家の斜め前にも透析を受けていた奥さんがいました。何年か前に亡くなってしまいました。透析を受けるときはその家からうちの裏を通っている幹線道路に出て、病院のマイクロバスを待つのですが、彼女は家を出て、うちの前にあるヤマモモの木のところで倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。時折見かけていましたが、表情は暗く、皮膚は病的な浅黒さをしていて、見ていても辛そうだったのを覚えています。昨年はそのご主人も急逝してしまいました。今まで、そのご自宅周辺はご主人がこまめに掃除をしていたので、非常にきれいだったのですが、この春先から自宅前のヤマモモの木が植えてある広場が目立って汚れてきました。このヤマモモの木の下で亡くなった奥方はどんなことを想っていたのか。死の恐怖よりは残された家族のことでしょうか。子供は2人いますが、どちらもまだ結婚していないようです。親の志を継ぐにはやはり結婚して子を作り育てる以上のことはないと思います。
そういうわけで今年からこの時期、たくさん落下してくるヤマモモの実を掃除しようと思い立ったわけです。
樹木の実などを採取して食用に加工する。これは人類が有史以前から行ってきた労働作業です。火と刃物を扱う技術もそうです。私はこれらの作業や技術の中に、人類が蓄積してきた何かがあるのではないかと思い、息子にも小さい頃から刃物を持たせ、火を扱わせ、近年では梅やヤマモモを採取したりして、体験させてきました。庭にはプランターに野菜も植わっています。
そういう息子からすると、アメーバピグだとか動物の森などというゲームは何ともくだらないお遊びにしか見えないようです。リアルな体験あってのそういうゲームですが、リアルな体験なしでの体験型ゲームは意味がないのだとか。
ヤマモモの実の採取と選別には非常な忍耐力を要しました。また、時期の見極めや清掃、調理能力も必要かと思います。しかしそれを全てこなせば美味しい飲み物を得られます。そういう体験を息子にさせてやることは、なかなか希少な経験ではなかろうかと思いました。
実を拾い集めている時、息子がなにげに言いました。
「ヤマモモってね、潰されたり、拾われなかったり、捨てられたりしても無駄じゃないんだ。世の中には無駄なものなんて何にもないんだ。」
私はよく息子に、この世に不要なものは存在しない、本当に不要なものはこの世に存在しうることができないと語ります。「いる/いらない」というのは多分人間だけの感覚で、動物はそういうものの見方をしないのではないかと思います。多分、動物は興味を持つ持たないという意識ではないでしょうか。つまり「いる/いらない」というのはその人個人にのみ通用するものさし、自分だけの価値観に過ぎないということです。視野が狭い、浅いというのは見識です。そういう人に共通するのは、自分の手で握っている物差しは本来、ほとんど意味を成さない程度のものであるという事を認識できないところにあります。自分の物差しを相手に預ける、そのぐらいがちょうどよいのではないかと思います。勝手な私見ですが、自分だけの物差しを強く握りしめて自らを傷つけたり、振り回して他人を傷つけることが多々あるように思います。
ヤマモモの花言葉は「教訓」。どういういきさつなのか分かりませんが、なるほどと思います。今年から毎年、なにがしかの教訓をヤマモモの木から息子共々得たいと思います。
ヤマモモジュース、味がまだ微妙(苦笑)。毎年チャレンジして美味しいものにして参りたいと思います。
平成二十五年水無月十八日
不動庵 碧洲齋