不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

父の日のプレゼントは拈華微笑

昨日、妻子はキッザニアへ、私は友人と埼玉北部の町へ行きました。

結局帰宅したのは夜の7時。妻子はすでに帰宅していました。

玄関に入るや否や息子は先日集めた自宅前のヤマモモが悪くなってきていることと、今落ちているヤマモモなら鮮度は高いと言うことを言い出し、休む間もなく再度、箒とちりとりを持って、自宅前のヤマモモを採取しました。

どの程度採取すればよいのか分からなかったので、ボールやざるで4杯分。結構な量ですが、石畳の上に落ちているので痛んでしまっているものもあり、その4杯分を全部、手作業でより分けました。

息子もキッザニアに行ったのでクタクタに疲れているはずです。途中何度も目をこすったり目を閉じたり。私が「後はやっておくから」と言うと「最後までやらなきゃ、最後までやったっていう達成感が大事なんだよ」と強い口調で言い張りました。私も行事をこなしてきたのでかなり疲れていました。

私がややからかい気味に「ああ、宇宙兄弟で真っ白のジグソーパズルをやったみたいにね」と言うと、まじめにうなずきました。「途中で投げだしちゃったら宇宙に行けないじゃん」

その言葉に私も眠気が覚めました。2時間以上もかかって4杯のヤマモモからきれいな大盛り1杯分のヤマモモが選別されました。その粘り強さに私は非常に感銘を受けました。

そこから2人でざるを使って少しずつ実を洗い、それを深鍋に入れて煮込み始め、その間に息子に明日の学校の準備をさせ、灰汁が出てくると、やはり息子に灰汁を取り出させました。更に砂糖とレモン汁を入れて、灰汁が出なくなってきて初めて赤い汁が見えてきました。

冷えるまで風呂に入りましたが、息子は限界のようでした。湯船でこっくりこっくり。それでも風呂から出ると息子にざるを持たせて私は深鍋を傾け、実を取り出しつつジュースを取り出しました。その後、再度布で漉し、完成です。

新しいボトルに真っ赤な液体が注がれるのを見て、満足そうに笑ってから二階に上がっていきました。実に3時間半の作業でした。(夕食は既にどちらも終えていました)

ヤマモモの実を集めているとき、息子は何気なく「ヤマモモってね、潰されたり、拾われなかったり、捨てられたりしても無駄じゃないんだ。世の中には無駄なものなんて何にもないんだ。」とかつぶやきながら拾い集めていました。息子は決して米粒を残しません。大宇宙の隅々にも、米粒一粒一粒にも仏があることをよく知っているからです。尊いものは決して無駄にしてはいけないことをよくわきまえています。最近は一緒に掃除をしますが、米粒とは言わずゴミくずや塵の一つ一つもまた、何か使命を帯びた仏の在り方の一つであることを理解し始めているようです。先日、ゴミも仏様のかたちなのかと聞いてきました。そのせいなのでしょうか、彼の部屋は最近目に見えてきれいになっています。

自然のものから自然の恵みを受けて、人が自分の手でそれを直接有難く頂く。自宅庭の梅にしても、自宅前のヤマモモにしても、息子には素晴らしい教材になっています。

今朝、普通に起きて一緒に食事をして出社しました。

午前中、何かの用事で別の棟に行って戻った帰り、事務所のある棟の入口に花が咲いていました。何と言う花なのか分かりませんが、あまりの美しさにしばらく佇み、少し水を与え、立ち上がった時にはっとなりました。そういえば昨日は父の日でした。花を通じて仏様が非常に素晴らしく、得難いプレゼントを私に与えてくださったのではないかと思った次第です。

ちなみにヤマモモの花言葉は「教訓」。偶然にしてはできすぎでしょうか(笑)。

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平成二十五年水無月十七日

不動庵 碧洲齋