不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

電車の中の風景

昨日は不動庵道場の稽古がありました。

稽古は21時に終わるのですが、そこから電車に乗って約1時間で帰宅。

昨夜は電車の中の様相をじっくり観察しました。

9人掛け座席を4つ、観察したところ、概ね以下のような割合でした。

本を読んでいた人が2人x4

スマホや携帯を操作していた人が4人x4

寝ていた人が3人x4

ま、スマホ電子書籍を読んでいた人もいたかも知れません。

この割合はどうなんでしょう。

読書が減って、マンガやゲーム機が増えて久しい今日、こういう状況をどう捉えるのか。

仕事で疲れているので居眠りはいいとは思います。

スマホや携帯をいじっている人たちが自宅でそれなりに本を読んでいればよいのですが。

教養が高ければ必ずしもよいというわけではありませんが、教養が低くてよいことは決してありません。

私も道中に携帯を見ることはあります。しかし見るところは決まっていて、ほぼPCメール、mixiフェイスブックの閲覧です。携帯からメールやコメントを送る場合は急を要するときのみで、返信はほとんどパソコンからです。小さい画面を見ていると疲れるので。

銀河鉄道999をオーバーラップした気になりました。永遠の命を持つ機械化人間と対する生身の人間。携帯通信機器の虜になっている人は、無限の情報量を持つ機械化人間、対してそういうものに依存しない生身の人間。ネットとオンラインになっていることで幸せだと思う人たち、そういうものに影響されない人たち。

銀河鉄道999において、松本零士先生はなかなか皮肉めいています。決して機械化人間がよいだとか生身の人間は素晴らしいだとか直接言ったりしません。悪どい生身の人間がいたと思えば、心優しい機械化人間もいます。機械化されないと生き長らえない場合もあったり、生身の人間に戻りたがったり、松本作品が奥深いところはそんなところにあります。

携帯通信機器も然り。便利でありすぎる故に、人を堕落させているのも事実。私もネットに繋がない日はありません。1日どころか1時間で考えても繋がない時間は寝ているときぐらいでしょうか。しかし繋がらなくてもイライラすることもなし。楽しめる自信があります。便利なものは使う。キカイには使われない。それだけです。

本を読んで困ることはありません。ネットに繋ぎすぎて迷うことは多々あります。どちらにしても程度の問題なのでしょうが、自ら律することができる人間でありたいところです。

平成二十五年皐月二日

不動庵 碧洲齋