不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

いのちのおもさ

今回の大震災の死者、行方不明者の合計数は約3万人前後になりそうです。

数で比較する愚かしさを承知の上で比較してしまいますが、阪神淡路大震災のざっと5倍になります。

あまりに膨大な数なので、なかなか実感がわきません。

戦争を除くとここ数百年の間で見ても、未曾有の大災害だったことが分かります。

3万人というと、ここ10年ほどずっとですが、日本で発生している自殺者数と同じ数です。

毎年、大体3万人が自殺しています。

言うまでもなくこの数は昨今減りつつある交通事故よりも桁違いに遙かに多く、割合も世界的に見てベストファイブに入っています。

つまり日本では恐るべき事に毎年、東北地方太平洋沖地震級の死者が発生している計算になります。

しかもその犠牲者は自らそれを求めて・・・

日本から上の国はほとんど旧社会主義国で、今も貧しい国です。

世界的に1.2を競う豊かな国が5番目の多さというのは一体何なんでしょうか。

私はいつもこの数字を気にしています。

ものの豊かさと心の豊かさは確かに比例できないのかも知れませんね。

発展途上国の人たちからすると、呆れるような贅沢な悩みでしょう。

客観的に見ると、例えばアメリカと比べてみるとこうなります。

自分の将来を悲観した場合・・・

日本:自殺

米国:ヤケクソになって殺しまくった

と、こうなるようです。アメリカでは簡単に武器が手に入りますから。

自殺の場合は最大でも最小でも基本一人しか死にませんが、銃だと一人以上の可能性も十分にあるわけです。

方向性が違うだけで命を奪うことには違いありません。

自殺というのは、私はこんな風に考えています。

生きると言うことは試験の連続です。

生きるに当たっての障害がテスト問題に当たります。

まあ、自分で問題を選べないことも、ヤマを張ることができないこともありますが、難問にさしかかったとき、キレてテスト用紙を破り捨ててしまう、これが自殺です。

とりあえず白紙回答して、次回で名誉挽回する、これが本来求められる生き方です。

試験会場で素行が悪かったらそれこそ次回がありません。自殺と同じような気がします。

今年は死にたくなくても死んでしまった人がすでに3万人も出ました。

これから自殺を考えている方がいましたら、どうか少なくとも今年だけは思い止まって、対面している超難問に向き合ってください。解答が得られずともよいのです。

それは大したことではありません。

あなたがその難問と向き合っているその事実が重要だと思うのです。

死んだら人は仏になります。たぶん、四苦(生老病死)から解放されるのです。

根本のところで苦しみから解放される代償として、エキサイティングな人生もなくなります。

私が思うに死後の世界は極楽だったとしても結構つまらないような気がします。

いや、きっと退屈してまた、死にたくなると思います。

特に死を求めていった場合は「こんなハズじゃなかった」みたいな、感じになる公算大です。

苦い食べ物があるから甘い食べ物がある。

そんな風に考えてみてはいかがでしょうか。

SD110401 不動庵 碧洲齋