明日は建国記念日です。
この日の由来をご存じですか?
初代天皇、神武天皇がこの日、奈良県橿原市にある橿原神宮にて戴冠式を行ったということに由来しています。
そしてそれは今から2671年前だとされています。
つまり明日は日本ができてから2671年ということになります。
私は最近、このことについて色々考えます。
今から2671年前は弥生時代です。
本当にそんな人がいたのかどうか、史実としてはかなり可能性が低いと考えます。
が、「いなかった」というのもまたおかしな話になります。
今上陛下がいらっしゃるという事実は、やはり遙か以前から祖先がいるという事実あってのことです。
日本人はあまり意識しませんが、石器時代とか縄文時代、弥生時代からずっと同じ国にいるという民族は決して多くありません。ましてや先進国では日本ぐらいなものでしょうか。
米国や豪州といわず、欧州でも何代か前はどこから来たという人が少なくありません。
日本人の場合はたぶん、ほとんどの人が大昔から日本人だったのでしょう。
中国で一番最初の帝王は「黄帝」と言われています。
が、史上初、中国を統一したのは秦の始皇帝です。
私的には始皇帝の評価は低くありません。あの中国を何はともあれ統一したのです。大したものです。
よほどうれしかったのでしょう、わざわざ「始」という漢字まで冠しています。
今の中国を見ているとなるほどそう言いたくなろうというものです。
残念ながらよほど心労がたたったと思われます。統一後、すぐに死んでしまいました。
日本の皇統は最初の10代前後は実在がはっきりと確認できていないといわれています。
だからたぶん、大和時代の天皇の誰かが神武東征を作り上げた話なのかもしれません。
別にそれはたいしたことではありません。
私が注目したのは・・・
なぜ、その人は「私が最初の統一者だ」と言わなかったか、ということです。
アメリカ人の場合はほとんど病気ですが、普通の権力者だって「一番最初、ナンバーワン」の称号を得たいものです。
でも神武天皇の話を作ったと思われる天皇はそうではなく、誰か先祖を立てることによって後塵を拝することに甘んじています。
なぜなのでしょうか・・・
ずっと気になっています。
ただその気風が間違いなく今に生きて、日本人を形成しているのだなと思います。
そう思いつつ教育勅語を読むと、本当に重みがあります。
先祖を敬い、先人を敬い、親や師を敬い、とあるように、誰もが「いちばん」を目指すのではなく、自分が存在することができた「他の誰か」を敬いなさいという発想は驚くべきものがあります。
そう思うと日本という国は皇室あっての日本だと思い知らされます。
今上陛下は第125代に当たります。
伝説の時代の人間からカウントしている在位などというのは世界中探してもたぶん日本だけでしょう。
私は実在かどうか、ではなく、日本人の精髄を初代から脈々と今上陛下まで受け継がれていらっしゃるのだと思っています。
明日、息子にはまた「教育勅語」を読ませてやろうと思います。
SD110210 碧洲齋