不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

武芸のこと

私のこだわりの一つですが、私は「武芸」と称しています。

世には武道を始め、武術、古武道、古流、格闘技など色々ありますが、英語の「martial arts」の適訳としては「武芸」のような気がします。私の所属する流派は一応古流の流れを汲んではいますが、別段古くなくとも構わないようです。なので「武芸」。自称するときも「武芸者」。「○○家」というと自分以外にも責任を持たねばならない気がするためです。少しエラそうに感じてしまいます。本来武芸をする人は自分一人の責任で自分だけで修行をする者と心得ています。だから「家」より「者」の方を好ましく思います。だからといって「武道家」がいけないというわけではなく、一般人でその道に詳しくない方にはやむなく「武道家」という場合もあります。

「martial arts」という言葉自体は戦後ぐらいに普及したそうです。もっとも「武道」という言葉も普及してせいぜい100年程度でしょうか。柔道という言葉と同じぐらいだと聞きます。だから私自身はどちらもあまり大地に足を付けたような感が持てません。そもそも「martial」なる言葉は火星、軍神、軍隊、戦争、好戦的などという意味も含んでいます。日本の「武」と比べてかなりの格差があることは否めません。ここ10-20年で変わってきましたが、欧米ではブルース・リーの活躍した時代ぐらいまでインテリやホワイトカラーといった人たちは「格闘技・武道」などといった野蛮なことはやるものではないという風潮でした。この辺り日本の武道家の先達がいかに苦心して世界に普及させたのか、苦労が偲ばれます。ものおとなしく、高品質の製品を作っている日本人が国内で黙々と教育の一環として行っていたことも西洋人達の目にとまったのではないかと私は思います。何か精神的なものがあるに違いないと思ったのかも知れません。だから武道が世界に普及した功は武道家と日本国民で分かち合いたいところです。

従って私は自分のサイトやブログでは可能な限り「BUGEI」と「BUGEISHA」を用いています。

また、私の流派では外国人が非常に多いので、私なりの武芸観を時折、英語でブログに書き留めたりしています。日本人にはごく当たり前のことばかりですが、改めて英語にするとなかなか新たな発見があって興味深く感じます。

SD091216 碧洲齋