不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

誠の声は心に響く

昨日は靖国神社奉納演武を拝見致しました。

この時期に靖国神社で演武があることは前から知っていましたが、実際に拝見したのは初めてです。

今回、演武を奉納する流派の一人に武友がいたので、是非にと思い立ちました。

演武の前に「武楽座」の源光士郎氏も武楽の能を奉納するとのことで、そちらの方も大変楽しみにしておりました。実際にお会いしたことはなかったのですが、2年ほど前だったか、FBで友人リクエストを頂いてからよく拝見していました。1.2度メッセージも頂きました。

能や武道、和楽などの日本伝統の芸道の表現様式の確立に挑んでいるこの「武楽座」、武芸の動き考え方が大変参考になるので以前から聞きかじっていました。知人友人に能をよくする人もいて、能は何度か観に行ったことがありますが「武楽座」を実際に拝見するのは初めてでした。

屋外の動きと屋内の動きでは全く違います。

武道に限った話しではなくどんな動きにでも言えることですが、屋内で音声高く、ダイナミックな動きでも、外に出ると7.8割は「あれ?」と思うほどに声も小さくダイナミックさに欠ける動きに感じることが多くあります。

逆に静かな動きは自然にかき消されてしまうこと多々あり。

源さんの動きは始めから終わりまで唸らされっぱなしでした。

距離はあるのに音声がまっすぐ直截、澄んだまま観客に届く。激しい動きにブレはなく、静かな動きには存在感を感じます。振っていた木刀の切っ先にほとんどブレがないことに驚かされました。静かなときでも激しい動きのときでもぶれていなかった。

私も歩行法には10数年も時間をかけてきて、それなりに満足してきた今日この頃ですが、源さんの動きは久々に感銘を受けました。

そして何よりも生き生きとしたオーラがあった。遠くで見ていてもそう感じたのですから、屋内公演などで見たら圧倒されたことでしょう。

もっと感銘を受けたことがあります。

終わってすぐに裏口の出演者控え室の建物から外に出るや、待っていたファンや見に来ていた観客の皆さんの記念写真の撮影に快く応じていたこと。決して着心地も良くなく、面を付けたままの格好でいたことはもちろんですが、多分1時間以上もいたでしょうか。離れて見ていたのですが、単なるファンサービスとかそういうものではなしに、心から人と接することが好きなように見受けられました。人だかりが多かったので声をかけずらかったのですが、収まってきてから声をかけると源さんは私のことを覚えていてくれてまずはそれで感激(笑)。源さんのFBの友人は5000人近くいます。まあ覚えてないだろうとは思っていたので驚かされました。そして本当に親切に周囲の方について説明して頂きましたが、人との縁を誠意を以て当ると言う事を体現していました。

実はその後も離れたところから演武を見ながらずっと源さんの姿を拝見していたのですが、久々に男の横顔に惚れた気がしました(笑)。結構な時間、ずっと不便な格好で立ち、全く疲れを見せず観客や周囲の方々とさりげなく楽しげに歓談する姿にも心打たれました。利他に尽し潰した先に自らを置く人、利己に尽し潰した先に人がいる人、そういう徹底した誠を持つ人の動きや声というものだけが観客の心に真っ直ぐ届くような気がします。

詰まるところ行き着くところは心の問題ではないかと、私の浅慮なりにそう思うのですが、心に到るまでの長く厳しい修行が、私にはまだまだ足りません。周囲の雑音が影響できないほど澄み切った心というのは、造りあげるのも維持するのも熱意あればこそ、なかなか私には難しいなと感じました。

今後は機会があったら是非とも武楽座を拝見させていただこうと思いました。

武楽座ホームページ

http://www.bugaku.net/

源光士郎さんと

画像

平成二十七年長月十四日

不動庵 碧洲齋