不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

利休道歌 四

はぢをすて人に物とひ習ふべし これぞ上手の基なりける

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孔子は知らない事は何でも担当に聞いたそうです。

人が皮肉ると孔子は「知らん事を聞くのが礼儀なのだ」と逆ギレしました。

結果、彼は儒教の教祖として大成しました。

本来、習う側はこのようでありたいと思います。

現代中国人も孔子は敬っていますが、教えに関しては全くスルーの様相です。

「エラくなっちゃう」と、面子もプライドも利益も人間関係もがんじがらめになって、本来気楽に聞ける事も聞けなくなります。しかしそんながんじがらめになっても、人間とは怖いもので、どんどん慣れてしまっていき、終いには「自分は何でも知っている」とたちの悪い自己催眠に掛かってしまう事です。武芸ではそこが命脈の尽きたところです。

この辺り、素直がいいのか疑い深い方がいいのか。

剛直がいいのか柔軟がいいのか分からないところです。

伊達政宗の遺訓ではありませんが、

素直すぎると馬鹿を見る

疑い深いと進歩なし

剛直すぎると折れやすい

柔らかすぎると役立たず

こんな風になってしまう事請け合いでしょう。

その辺のさじ加減が各自の秘伝、奥義、手の内なのかも知れません。

(各自の秘伝なので、例え教えてもらっても参考になるかどうか!)

日本人は特に「恥」を遺伝子レベルで気にします。

むろん、外国人にだってそれはあります。(ない国もありますが)

でも日本人の場合は本当に血の中に流れていたり、DNAに保存されていそうなレベルです。

恥を忘れるのは良くないにしても、修行に差し支えが出るほどの恥は持たない方がいいようです。

SD100809 碧洲齋