不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

天機

天機というのはいわゆる天の時、人生の分岐点と言うのかも知れません。
コロナ禍に入ってから、過去にないほど明確に人生の転機が訪れてきたような事がひっきりなしに起きています。
予定していたことや予想していたこともありますが、そうでないことの方が多いような気がします。
まず人との関わりでしょうか、縁が近くなったり遠くなったり、断絶していたのが繋がったり、繋がっていたのが断絶したり、個々で見ると分かりませんが、大局的に見ると私には何やら天意を感じます。
また、私を取り巻く武門や禅門の環境の変化も大いにありました。詳細は省きますが一面的には良くないことです。
ただ天の時、地の利、人の和を見るとき、それらはそれぞれに影響を与え合って干渉しつつ影響していると思います。
だから表象が一見悪く見えたとしてもその実、良き方向に向かわせる天意が隠れていたりするものです。
その逆もまた然りだけに人生全く気が抜けません。

このような場合はまず「動く」のが正解でしょう。当流では「変化」すると言いますが、固着して守りに入ってはいけない時期だという事は肌で感じます。
孔子は「五十にして天命を知る」と言っていましたが、2019年に50になった私もまた、天命(らしきもの)を悟りました。なるほどそう言うものかと思ったものです。

ここ数年はさだめある如くに動いてみようと思います。


時津風
あまねく星の
動くとき
さだめ悟りて
我は道ゆく

 

令和四年長月十一日
不動庵 碧洲齋