不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

オーストラリアにおけるコロナ対策のリアル

豪州政府というか一般市民のコロナに対する接し方です。
滞在した9日間で私が体感したものをできるだけ客観的に描いてみます。

マスク着用率は10%以上15%未満でしょうか。メルボルン中心街ではもしかしたら2割に届いていたかも知れません。
日本よりは遥かに少ない割合ですが、想像していたよりはずっと多かったのが驚きでした。
中心街では老若男女に関係無く、一定数がマスクを着用していましたが、若干アジア系が多かったような気もします。ただもしかすると職業柄、着用が求められるようなものだったのかも知れません。
郊外で圧倒的に着用が多かったのは高齢者。とはいえ全員ではありませんが。高齢者の3人に1人ぐらいだったでしょうか。高齢者に絞ると割と着用していました。
高齢者以外で着用するのは体調が悪いと自覚のある人。私のホストファミリーの1人も訪れた当日、体調がやや悪いのでマスクをしていましたが彼女は既にPCR検査も行い陰性であることを確認していました。
完全には日常に戻ってはいませんが、限りなく日常に戻しているといった感じでしょうか。
正直に言うと滞在中、割と多くの人と会って会話もしましたがマスクはしませんでした。
しかし幸いにも陰性でした。

家族に高齢者がいたり周囲に高齢者が多かったりして、彼らの気を配りたいと思っている人はマスクを着用しているようです。
また例えばフードコートの従業員などもマスクをしている人が多かったように思います(しかし全員ではありません)。
普通に生活している、高齢者ではない市民で、医療や接客業に従事していない市民はほぼマスクはしていないという感じでしょうか。

WHOのデータによると、ざっくりオーストラリアでは2000人に1人がコロナで亡くなっています。対して日本は3500人に1人がコロナで亡くなっています。高齢社会でかつ人口密度も高い日本の方が亡くなっている人の数は少ないですが、いずれも亡くなっているのはほぼ高齢者です。
少々残酷ですがこういう言い方もできます。オーストラリアの方が圧倒的に若い人が多い、故に経済活動に多重の規制を敷いてまで停滞させるべきではないという考えのようです。日本は割合として高い高齢者を守るために(そして現役世代よりも裕福である人が多い)、多少の経済活動は停滞してもやむを得ない。
どちらが正しいという話しではありません。国によって選択が違うというのは事実のようです。

しかしオーストラリア人はもとより他の欧米人の多くも自然免疫を信じているようで、人間の努力をある程度したらそれ以上は自然に任せる、という哲学を持っている人が多いように感じました。そのような考え方は日本人の方が強く持っていると思ったものですが、意外にも今回については日本人は何が何でも人の手によって抑制させるという精神があるように思います。

しかしながら現在、過去最大と思われていた第6波を軽く超えてしまいそうな勢いの第7波の前に、社会で接種率を上げたりマスクを奨励してもほとんど効果が出ているようには思えません。恐らく世界的に日本以上にマスクをしたり手洗いをしている国はないと思いますが、それをしてこの結果です。この努力に対する結果については日本人は潔く自然の力を認めたり、人間の努力の限界を知るべきだと思います。
もちろん今のマスク奨励やワクチン接種が無意味と言っている訳ではありませんが、単独で歩いている人、単独で自転車に乗っている人、1人で車に乗っている人までがマスクをしているのを見ると、どうも論理的合理的にマスクを着用しているようには見えません。単に思考停止というか周囲に合わせ批判を恐れているだけです。賢く使用しているとは思えません。

マスク奨励はあと半年でしょうか?1年でしょうか?このまま経済がどんどん衰退するまであちこちで規制されるのでしょうか?
私はオーストラリア人を見て、もう少し欧米人の図太さも視野に入れて、経済を回していった方が良いと感じました。

 

令和四年葉月十八日
不動庵 碧洲齋

メルボルン郊外の海岸