不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

77年目の終戦記念日に想うこと

先の戦争を始めた犯人は誰だ、というものがあります。
ドイツならほぼ疑いナシにヒトラーでしょう。でも考えてみてください、彼を選んだのは民衆です。
日本はどうでしょう。最終決定を下したのはもちろん昭和天皇ですが、それが話し合われたのは帝国議会です。帝国議会の議員を選んだのはやはり民衆です。軍人の暴走とか言われますが笑止、当時の日本人の1人ひとりの教育の問題でしょう。
結局のところ、戦争を止めるのは軍隊でも政府でもなく、民衆1人ひとりの教育にかかっていると思っています。
それが絶対ではありませんが、多分理由の大多数を占めていることは間違いありません。
政府や独裁者、軍部の責任にするのは少なくとも近代国家の市民としては失格です。
(ま、私もしょっちゅう政府を批判してますが、それは民主国家の市民としての権利です(笑))

今年の終戦記念日は何と言うかいつもと違った印象を受けました。
何とも言えない恐怖というのは怖気がしたというのか。

今回のコロナ禍は世界規模で起こった、100年に一度の災害でした。
世界中の国々でさまざまな対策が取られました。
厳しい法律が作られたり、警察や軍隊まで動員して強制させたりした国もありました。
「日本人」から見ると、例えば100万人もの人が死んでいるのに平気でいる人が多いアメリカ人などはさすが戦争ばかりしている銃大国だと呆れたり、軍隊まで動員して市民を強制させる中国などにも眉をひそめた人も多いでしょう。
それ以外の先進国や中興国でも法律が施行されているにも拘わらず守らない人もいて、日本人の倫理の高さを誇らしく思った人も多いのではないかと思います。そもそも日本では政府は市民に「要請」しただけにも拘わらず、ほぼ100%近い人がマスクを着用して、ワクチン接種の対象者の9割以上は接種を受けています。国家が強制しなくとも従順に要請を受けるだけではなく、過剰なまでに実行しようとしています。
1人で歩いている人、自転車に乗っている人、1人で自動車に乗っている人までがマスクをしている人を見かけます。政府は既にそのような場合にはマスクは必要ないと言っていますがそれでも止めない人が大半です。論理的に考えたらそのような状況ではどう考えても不要です。すれ違いざまにコロナがうつされる可能性よりも多分、宝くじの高額当選の方がよほど確率が高い。

何のことはない、そういう人たちは自分で考えているのではなく、周囲の人たちがそうしているから、お上がそう言ったから、誰かから非難されないために、何も考えずに従っているのではないでしょうか。思考能力の減退、あるいは独自の思考の放棄というのか。

そう、それが先の大戦で一大国としては信じがたい大敗を喫した理由ではないかと思うのです。
誰もが誰かの目を気にして、批判されないように生きて、周囲と違うことをすることを懼れる。ずいぶんと昔から言われてますが日本人の特徴的な行動規範です。
自分で考えて判断して、それを実行に移す、この何でもないことをしない人の割合が他国よりずっと多いように思います。
故に日本人は多分、個人で考えるよりも集団の決定に従っている方がその社会では生きやすくなったのかも知れません。しかし平和な時代ではそれで良かったのかも知れませんが、今回のようなコロナ禍では失笑せずにはいられないような行動をしてしまうこともあります。
もちろん、自然災害時などでは良い影響が幸いして世界中から賞賛されることがあるのも紛れもない事実です。

ただこれから先、周囲の目を伺ったり、周囲に忖度したり、恥を懼れて行動しないことはあまりいいことではないと今回思ったものです。

令和四年葉月十六日
不動庵 碧洲齋

現在滞在中のオーストラリア・メルボルン郊外