不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

我が身を忍ぶ

修行とは
我が身を忍び
身を隠し
世にはさざ波
さへも及ばず

 

これは以前、即席で綴った武道歌です。武道歌になっているかどうか分かりませんが。
武術が戦における戦術の要だったのは遥か400年も昔の話です。250年以上も続いた江戸時代の泰平では主に個人の修練の方法論に過ぎなくなりました。更に幕末維新では戦争の主役は火器で、もはや武術は脇役とも言えぬ地位になってしまいました。そして明治時代から現代に至るまでは個人の修練の方法論どころの話ではなく、趣味にカテゴライズされている始末です。武道は人生そのものだと言う人もいますが、残念なことに江戸時代よりも遥かに必要性がありません。武道がこの世から完全に無くなっても社会は健全に機能します。オムライスにかけるケチャップがないという喪失感にもならないかもしれません。


現代の武芸者たちはそのような中で敢えて武芸を生き方の手本として選んでいます。私はその点に着目します。それがこの武道歌です。


スポーツ格闘技、或いは現代武道であればおおっぴらにネット上やメディアで宣伝してもよいと考えます。というかそれらは宣伝してナンボものもですからすべきです。
しかし自分自身の修行の方法として捉えているのであれば、それは基本、可能な限り人に見せるべきものではありません。古流にそのような考えが多いように見受けますが、必ずしも古流である必要はなく(というか武道である必要もありませんが)、聖書に書かれているように祈りは人に見られないようにする、そんな感じです。現実には何かの縁で仲間や弟子、或いは師が見つかることはあるかも知れませんが、派手に喧伝してまで仲間募集というのはやはり修行ではありません。全く口を閉ざせとは言いませんが、さじ加減の問題というのでしょうか。これが上の句の大意です。


このように色々と決まり事やしがらみの多い世の中です、SNSでふと呟いたことも無数の人が反応して所謂炎上することも珍しくありません。武芸の本分は身を守るということですが、本来は人を殺す術を以てして武芸です。隠忍自重という安全装置を幾重にも重ねてそのようなこともあり得るということです。いわんや平時に於いて修行をするに当たっては、あらゆる意味に於いて社会に決して悪影響を与えてはいけません。社会に迷惑をかける、負担をかけるというのは以ての外です。修行のために周囲にちょっとぐらいの迷惑をかけてもよい、我を通すためなら周囲が理解してくれなくとも良いというのはすでにそこで終わりです。既出のオムライスの話しではありませんが、ケチャップを残すためにオムライスを廃棄する、ケチャップを残すためならオムライスは腐らせても良い、という本末転倒な事があってはならないという事です。ケチャップはオムライスを美味しくするための素材であるように、武芸も社会をより良くするために貢献しなくてはなりません。武芸が忍んだり身を隠す必要がないのはそういう場合です。弟子を取る、と言う行為はもしかしたらそれに該当するのかも知れませんが。これが下の句の大意です。


昨今コロナ禍で国家や個人でも色々なエゴが顕れてきました。特にワクチン接種に於いてワクチン接種派、反ワクチン派が火花を散らしています。どちらも我が身かわいさに起こした行動に見えます。もっともネットの情報をどこまで深く読んで決めたのか疑問ですが。


私の基準は簡潔です。「他人に迷惑をかけない選択」です。万事、自分を勘定に入れてものを考えるから浅ましくなります。(私もたまに浅ましくなりますが)常に利他をまず考えればそんなに大過のない判断ができます。つまり「無心」になることです。まず自分のことを考えると大抵はロクなことになりません。武芸で言えば「死ぬことと見つけたり」でしょうか。あれは死ぬ気で戦えという意味ではなく、命さえ擲ち無心になれば活路が見いだせるという意味だそうです。生きることにしがみつくと目が曇って活路が見いだせないという事です。活路は我が身すら空虚にして無心になったところに見出せるというものです。その上で恥を晒さない生き方を心掛けます。恥を掻かない生き方というのは質問に対して間違った答えをすることではありません。間違った判断や行動をする事そのものではありません。


ワクチンで言えば思うところあって未接種のまま感染して病院に搬送されたとき、「ワクチンは未接種です」と答え、その上で医療従事者たちを余計に働かせてしまうことは恥だと思います。多分医療従事者たちは想うところがあっても間違いなくその患者を救うための努力を惜しみません。義務かも知れませんがそいれがいわゆる無心というものです。私の場合ですがそんな恥さらしの状態になったら本当に自殺でもしかねません。そしてそういう恥さらしになりたくないので他人に迷惑をかけずに済むついでにワクチン接種をしたという体です。嗤ってください。

この恥を晒してでも我を通したいと思う方もいるでしょうが、私は武人としてもっと優雅に高貴でありたい、それが私の武芸における美学だと心得ています。

 

令和参年長月晦日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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