不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

万物流転ということ

20年ぐらい前のことだったでしょうか、ある命題に直面しました。
一つは「伝統の形式は固持すべし、歴代の継承者たちが形成してきたものを『おまえら如き若輩』が易々と手を加えていいものではない」という考え。
もう一つは「世は万物流転だから次々に変化して、同じものはない。ひとつのものを固持していくのは愚かである」という考え。


前者を固く信じていた合気道の方と知り合ったのですが、確かに一理あります。(ま、合気道自体、古武道に分類されない、新しい武術ですが)彼曰く、伝統の型を一心に修練して我が物とすれば、どんな状況でもそれは無意識に使えるものだと言うことでした。


もう一つの考え方があります。すべては変化している故、型も技も理合いまでも変化して然り、ということ。どちらかというと当流は後者かも知れません。当流の外国人門下生たちにも「Henka」という単語は浸透しています。

 

実際のところ不変であることは難しく、必ず変化します。唯一最大の問題はそれを正しく変化できるか否かです。正しいときに正しい変化を悟る、これではないかといつも思います。

 

絶対に伝統を守るというなら、稽古場まで着物を着て徒歩で来るべきです。照明はロウソクにすべきです。喉が渇いたら水道水などもっての他。井戸から汲み上げて飲むべきです。そもそもそれならITの恩恵さえ受けるべきではありません。

 

・・・なんて書いたら言いすぎですが、私たちは生活上、変化を止めることは不可能です。変化を少しばかり制御しているに過ぎません。伝統固守派でも稽古場には車や公共交通機関で通っているはずです。それが現実というものです。

 

故に私は変化をどう捉えるかという考えが重要ではないかと思っています。その中で変えるべきもの、変えてもいいもの、変えてはならぬものを知ればよいと考えます。人は変化を恐れる生き物だと言われますが特に日本人のように世界最古の国家を形成している民族にとっては特にそうでしょう。ただやはり私は黒船や敗戦など、外国からの刺激で変化を強制されるような情けない民族であってはならないと思うのです。

 

令和参年長月九日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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