不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

大和の民であること

毎年、広島と長崎に原子爆弾が落とされた日や終戦記念日になると、日本社会は少なからずかつての戦争を思い返す人が多くなります。とはいえ、当時将兵だった人の年齢を考慮すると、当時20歳の軍人だったら、現在は96歳、ほとんどの方が亡くなっています。あと20年もしたら太平洋戦争の従軍経験者はいなくなるでしょう。小学校低学年ぐらいだったか、良く覚えていませんが、新聞の片隅に「最後の日清戦争従軍者が亡くなる」という記事を読んだ記憶があります。中学校だったか高校の時は日露戦争の従軍経験者が亡くなったと思います。そのように太平洋戦争の従軍経験者もあと何年もせずに全員亡くなってしまいます。私の年代だとにわかには信じがたいことではありますが。

この時期になると従軍経験者ではない戦争体験者たちが戦争の悲惨さを訴えます。戦争の悲惨さを訴えているのは敗戦国の軍人ではない人たち、主にほとんどが子供だった人たちです。この辺りが重要です。例えばアメリカで反戦運動をしている人たちは朝鮮戦争ベトナム戦争湾岸戦争などなど、戦争に参加したリアル世代、というかアメリカは常にどこかで戦争をしているので周囲に戦争従軍者が大勢います。そういう人たちの反戦活動の趣旨と日本のそれとは微妙に違うなぁ、と感じます。

一方で戦後生まれの人たち、主に保守系の人の中にはその戦争の正当性や連合国こそ悪だと言って憚らない人もいます。もちろんそれはアメリカにもいます。原爆を落としたから日本本土侵攻作戦で失われたかも知れない何十万人の兵士らの命を救ったとかいうのはよく聞きます。真珠湾を忘れるな、等も有名ですね。最近の調査ではさすがに若い世代でそれを主張する人は少ないですが、私ぐらいの世代ではマジメに主張している人も多いので笑えます、いえ笑えませんが。色々な主義主張が繰り返されますが、どの主張にもある程度の妥当性はあるものの、建設的ではないものが多い気がします。スターウォーズのように悪の銀河帝国と正義の共和国同盟がぶつかり合うという図式が頭にあるんでしょうか。あれはアメリカ人が生み出した、単細胞的なお話しです。子供が観る特撮ヒーロー番組と同じです。

戦艦や戦闘機や戦車を設計、製造している国は大きく幅を振っていても「かなりの理性国家」です。理性や科学的思考能力がない国では工業や大規模な経済活動は興せません、当たり前すぎる話ですが。政治理念や社会理念が違うだけです。自分を悪の存在と認識して戦いを挑むバカはいませんが、戦争はそういうものだと誤解しているバカは大勢います。自身を悪と認識して戦っているのはせいぜいお子様が観る特撮ヒーローものの悪の組織だけです。現実には戦争は「正義」と「正義」のぶつかり合いです。勝った方が正義を名乗ることができます。実際には負けた方にも正義はありますが。故に戦争は善悪では裁けません。

日本は古来より「和」を号してきました。それ以前は「倭」と中国から呼ばれていました。一節には中国からの使者に向かって私という意味で「わ」と言ったのを間違えたのかも知れないとのこと。なかなか意味深です。以後日本人は善悪を裁くよりも調和を取る、和を貴ぶというものの考え方を最上としてきました。正しいとか悪いとか以上に全体の調和を崩さないことにもっとも心を砕いてきたと言えます。それが良いことなのか悪いことなのか分かりませんが、日本は神話の時代から一つの王族によって2600年以上も滅びもせずに単一国家として存続してきたことを考えると、割と悪いことではないと、私は思います。そしてその民族をして「ヤマト」と称して「大和」の文字を当てはめたことはなかなか優雅で意義深いと考えています。私たち日本人は「大和」を号しているという事実とその意義をよくよく深く考えていかねばなりません。

令和参年葉月七日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

 

f:id:fudoan_hekiganroku:20210807220442j:plain