不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

「早さ」と「速さ」

「早さ」と「速さ」は違います。
語学的に言えば「早さ」は「速さ」の上位概念です。
「速さ」は速度に対する形容表現であり、「早い」はそれ以外の概念に対して用いられます。
武芸に於いてもこの2つの概念について、よくよく検討すべきかと思います。

例えばスポーツ格闘技では「速さ」を重視するでしょうか。スポーツ化された格闘では厳格な制約があり、その中でのみ競うものですから肉体のスペックに因るところが多い「速さ」をより求められます。物理的に肉体を早く動かすという意味です。故に肉体を極限まで駆使するスポーツにはギリギリまで肉体的早さを引き出せなくなったときには引退があります。

私はブルース・リーを敬愛しているのですが、彼の繰り出す蹴りや突きは目にも止まらぬ速さでした。今でも彼以上に早く攻撃できる人はいないのではないかとさえ思います。が、彼はたったの32歳で他界してしまいました。残念ながら彼が作った截拳道ジークンドー)も完成された流派とは言えませんでした。私は未完のままだと思います。もし彼がまだ生きていたら今は81歳、もはや神速のパンチを繰り出せる年齢ではありません。故に彼ほどの天才であれば物理的な早さではない、別の何かの「早さ」を以て格闘するという理論に開花させられたに違いありません。もし彼が現代まで生きていたら截拳道はたぶん完成された、古流にも比肩する流儀になったいたはずです。ここが私が本当に残念に思うところです。

物理的速度、例えばパンチの場合ですが、素速く繰り出すにはどうしても尋常ならざるモーションが必要です。モーションを消して繰り出すことは不可能です。そしてそのパンチを繰り出す為には発射される拳とその周辺のみならず、体全体に莫大なエネルギーを要します。

戦艦大和の砲弾は口径46センチと、過去から現在に至るまで軍艦に搭載された火砲では人類史上最大でした。この記録は今でも打ち破られていませんし、もちろん今後打ち破られることはありません。その主砲の砲弾の重さは大体1500キロほどでした。1.5トンの重量物でしたら、会社にあるハンドリフトフォークでも十分持ち上げられますし、2トントラックで移動させることも十分可能です。しかしそれを秒速数百メートルで飛ばす場合は何千トンもの重量がある砲身および砲台、発射装置が必要になるわけです。
これを肉体に置き換えても同じです。片腕たかだか数キロの骨肉の塊を異常な速度で動かす場合、数十キロの体幹にはとてつもない負荷が掛かります。それに耐えうる為に筋力を鍛えたりトルクを利用するわけです。

今やモータリゼーションの時代ですが、考えてもみてください。本来であれば人一人を動かすのに必要なのは二本の足で如何なるデバイスも必要としません。人類は何万年もそのようにしてきました。今からおよそ200年前、ドイツで発明された自転車はほんの少しの金属部材と精密な加工で徒歩よりも遥かに効率よく移動できる移動機械です。それでも人間の質量以下の重さでした。

内燃機関が開発されてからというもの、馬力も速度もどんどん上がっていきました。現代をよく俯瞰してみましょう。軽自動車のスズキアルトの重さは650キロです。もし搭乗者の体重が65キロだとして、65キロの人間を時速数十キロの速さで移動させる為に搭乗者の10倍もの質量を動かすというかなりバカげた無駄をしています。ま、これが昨今環境問題へと発展しているのですが。人を早く移動させるという代償はかなりのエネルギーロスと自然環境破壊を伴っていると言えます。付け加えるなら自然界ならざる速度は搭乗者やそれ以外の人を大変危険にさらしています。ちなみに私もさすがに徒歩や自転車というわけにはいきませんが使っている50ccの原付スクーターは重量70キロ、私の体重と概ね同じです。いい訳にもなりませんが(笑)

つまり「速さ」は人工的であり、自然の法則に反しているとも言えます。スポーツ格闘技のように厳格な制約の下で戦うという特殊環境は速さに特化するということが許されていても、やはり自然ではないためにどこかに無理がたたります。人は元々自然を超えた早さを制御するようにはできていません。ましてや自分の体重の何倍もある質量などが自然の法則を超えた速さを出した場合、本質的には完全に制御外です。自動車を運転している人のどれだけがこの事実を理解して認識しているでしょうか。

私は20年近く前にこれに気付いてから何をどう「早く」すべきかを考えたり実験してみたりしましたが、そういう意味では優れた武芸者は武技以外の別のものを「早く」することで年齢に関係なく実戦的な武技を繰り出せるということを段々と知るようになりました。やはり古から継承されてきた叡智というものは素晴らしいものだと再認識させられます。

何をどう早くすべきか、武芸者たる者は常々考えていかねばならないと思います。

 

令和参年皐月十六日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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