不動庵 碧眼録

日々想うままに徒然と綴っております。

楊震四知

昨今、中国共産党政府の力はますます増大して、周辺諸国に軍事的圧力をかけまくり、ほとんどの国から煙たがられ、恐れられています。何とも困った国です。
現実には貿易を止められたら速攻干上がってしまう国ですが、面子を重んじる国ですからその辺り我が物顔で道を阻むものなどいるはずがないと思っているのでしょうか。

私は高校1年生ぐらいの時からずっと中国史が好きで、結構本を読んできました。高校時代は毎日ほぼ1冊程度読み、高校卒業時には購入した書籍がほぼ1000冊あり、今思うと親に深く感謝しきりです。
色々問題の多い中国ですが、それは日本人の心を掴んで離さない中国史、過去にはとても優秀な人材が数多くいました。

今日はその中でも後漢王朝初期に実在した政治家、楊震について。字は伯起。
楊震の父は前漢王朝と後漢王朝の間にあった新王朝の暴政による国内の乱れを避けつつ、学問に勤しんだようで、新王朝を倒してその前の漢王朝の正統を復活させた光武帝から政界への誘いも断っていました。なかなかに堅い人のようです。
そしてその息子、楊震も同じく孔子に例えられるほどの秀才で、あちこちから誘いが来たものの、全部断って両親や兄弟に孝行を尽くしたとあります。いやいや、50歳になるまで平凡な生き方を貫くなんてやはりただ者ではありません。太公望呂尚も文王に仕えたのもそのくらいの歳になってからだったそうです。

今でも脈々と受け継がれている「ワイロ文化」の中国、宮仕えになってからはそれはもうしょっちゅうワイロ攻勢に遭ったようです。しかしながら楊震はそれらを頑として受けず、身の危険を顧みずに清廉潔癖を貫いたそうです。ですが最後は故郷に追放され、現状に失望して71歳で毒を飲んで自裁したとのこと。幸い、その後に名誉を復活、子供たち一族も政界に復職しました。ここまで清廉潔癖な政治家は中国では珍しい。普通はギリギリのところで妥協してしまうようなものです。

有名なエピソードを一つ。「楊震四知」というものです。
あるとき、例によって楊震の家に夜中、客が訪ねてワイロとして金を差し出し、客は言いました。「お納めください、どうせ誰も見てませんから。」しかし楊震は不思議そうな顔をして言いました。「天知る、地知る、我知る、子知る。何をか知る無しと謂わんや」子とは「あなた」という意味です。さすがの小物客もぎゃふんとなったとか。

誰も見てないから悪いことをしてもどうせバレない、そう思う人ほど小物です。何時もどこでも誰か何かが見ている、そう思う人ほど割と大物です。
私もゆめゆめ忘れないようにしていますが、さてさて・・・(笑)

 

令和参年皐月十三日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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