不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

三つ子の魂

「三つ子の魂百まで」という言葉があります。
大体3歳頃までに躾けられたことは百歳、死ぬまで忘れないというあれです。
武芸でも伝統芸能でも大体、最初に仕込むタイミングは3歳と言われることが多い。
息子には3歳ぐらいまでによく先祖の大切さや神仏の尊さをよく話してきました。
神社仏閣や先祖の墓に連れていき、祈ったり掃除をしたりと、結構宗教に接する機会があったためか、今でも墓参りには率先して行きますし、墓では掃除など進んで行います。道徳的に曲がったこともかなり禁忌という考え方も自然に身に付いているようです、多分(笑)
そういう意味で3歳頃までに身に付いたことは多分、潜在意識下に染みついたものだと思うのです。

私の場合武芸になりますが、幾つかの有名な古流の先生方には3歳から稽古を始めたという方がいらっしゃいます。幾人か直接お話しする機会もありましたが、風格や立ち居振る舞い、言葉遣いに至るまでやはりずっと後になって入門した人とは違うんですよね。
もちろん、幼少から始めても継続しないと意味がありませんが、幼少から始めてそれなりに継続していれば、例えば中学校や高校ぐらいから入門した人とは明らかに違いを感じさせられます。うまく言えませんが全く同じ技量であったとしてもそれ以外の部分で圧倒されるというのか。

何年か前に偶然、日本舞踊の先生と知り合う機会がありました。残念ながら住んでいるところは同じ県内でもやや遠いのですが、ここ数年で何度か会う機会があり、その度に痛感させられるものがあります。
彼女はまさに2,3歳から始めて30有余年ほどのキャリアを持っているので芸歴で言えば私とほぼ同じ長さのはずですが、それ以外の質の違いに圧倒されます。稟性があるというのか。立ち居振る舞いや話し方一つを取っても品格があります。(いや、もちろん大変美人であることは言うまでもありませんが)分野は違えども技量で同じレベルだったとしても、それ以外の部分で大分差があることを毎回痛感します(笑) たぶんこれが「三つ子の魂百まで」だと思います。彼女は私より10歳以上も年下ですが、そういう意味でいつも尊敬の念を抱きつつ、ふり返って我が身には嘆息ばかりします。

何かに書かれていたことですが、格は金や時間で買えるが、品は三代かかってやっと得られるものだとか。この歳になるとお金ではどうにもならないことばかり欲しくなります。例えば私は禅をしてますが、悟りの境地がどんなものか、大枚を払って体感できるならいくらでも(ってうちは貧乏ですけど)払って得たいと思いますが、悟りの境涯というのはお金でどうにでもなるものでもなし、これは本当に若い、いや幼い頃からやってなんぼというものなのでしょう。従って足りない部分は日々の精進工夫しかないようです。特に諦めているわけではありませんが、自然身に付いている人は羨ましいなとはたまに思います(笑)

故にそれ以外の部分、例えば技以外にも感性や知識など、埋め合わせられるものはできるだけと、欲を掻いて悪あがきをしている、これが今の状態でしょうか。私の場合、修行と言ってもあまり崇高なものではないですね(笑)

令和参年皐月九日
武神館 不動庵道場
不動庵 碧洲齋

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