宇宙の話。
「宇宙戦艦ヤマト」で宇宙戦艦ヤマトは地球からイスカンダルまで長大な旅をして往復した。
しかし実はあれはかなり難しいミッションである。
何故なら・・・
地球は自転している。
地球は公転している(太陽周囲)。
太陽系も回転しながら移動している(銀河系外縁方向)。
銀河系も回転しながら移動している(アンドロメダ星雲方向)。
もちろん、惑星イスカンダルも同じ条件で動いている。
というか宇宙そのものも膨張している。
秒速数百キロメートルとか、そんな早さだ。宇宙の膨張はもっと早いと思う。
どちらも複雑な天体運動をしているところを往復するというのは、ある意味ワープ航法よりも難儀なことである。
(ちなみにスタートレックの世界はそれを織込み済の宇宙科学理論が適用されているから驚く)
故に地球からイスカンダルへの旅は、地図上の任意の2点を往来する、もしくは二つの住所を往来するのとは全く次元が違うのだ。
荒川の上流で手を突っ込んだ水面を、3日後に下流で同じ水面を探すぐらいの難しさだと思ってよい。
深山の山中、一人静かに動くものも無く・・・という状況ですら、実は宇宙的スケールで俯瞰すれば、狂ったような猛速で宇宙を乱舞しているかのようなものである。
つまり「天地宇宙万物皆『静止』しているものは一切ない」ということ。
もう10年以上前のことだと記憶している。他流儀の方と話す機会があり、その中でその方が主張した論旨。
「技を変化させ、自分の解釈を加える人がいるが、私が問いたいのは『あなたは継承された技を変化させ、新解釈を加えられるほどに熟練しているのか』ということ。伝統の智慧を自分如きが手を加えるなど畏れ多い。」
なるほど一理ある。そういう世界でしか生きていない人には鉄壁の倫理観なのだろう。
さりとて勝ち負け、トロフィーの数、数字の比較に終始すると欧米文化における格闘技文化になる。
日本の場合は「武道」と「格闘技」がせめぎ合い、融和し、競合し、なかなかいい環境であると思っている。
古来から継承される技法や知恵は磨き抜かれて動かす余地はない、と思わないのか、どんな優れた智慧でも変化するのか。私は万物流転の方だと思っている。戦国時代の武芸と現代の武芸では存在意義が異なるし、同じ用途では既にあり得ない。故に違って然り。
同じではないことに恐れを抱くのは日本人古来からの性だが、幸い私は武門のお陰でその呪縛から抜けているように思う。お陰で今まで日本社会では散々な目に遭ったことがあったが、逆に欧米圏の友人たちとは大変良い関係を持っている。
学校でも会社でも「異質」であることに恐れてはならない。「変化」を恐れてはならない。私が武門で学んだことである。
令和弐年臘月十三日
不動庵 碧洲齋
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