不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

自らの脚で

人類史で言えば、ヒトはごくごく最近までは徒歩で移動していました。

機械が仕込まれた乗りものが使われるようになったのはここ150年ぐらい。

それ以前は馬や帆走船でしたが、それとて利用していた人は全体のごく僅か。

現代のように誰でも使えるような公共交通機関や自動車のようなものではありませんでした。

私も会社まで徒歩30分程度なので車を手放してから1年ぐらいは用事がない限りは徒歩、その後数年は週に何度か徒歩というようにしていましたが、色々気付いたことがあります。

 

徒歩という歩行速度は、本来人が持つ五感を全てフルに使って走査できる早さだと考えられます。

特定の場所を通ったときの香り、空気感、景色というのがはっきりと認識できてそれを記憶できるという意味。

慣れてくると特定の場所に毎年咲くタンポポや雑草の花の類にまで気付くようになります。天候の変動などは言うまでもなく。自分の脚で歩いてますから距離感も体感です。ちょっとした坂もすぐ分かりますし、自慢の感覚もほぼリアルに分かります。(特に昔は靴など履いてませんでしたから)

 

ある科学者が言っていたのですが、人がそのようにできるのは時速30キロぐらいまでなのだそうです。それ以上の速度でも景色は見えているはずですが・・・実はその大半は脳が推定して見えているかのようにしているのだとか。実際脳は怠惰で余りフル活動したがりません。特に視覚情報は五感の中でも8割を占めますから推定平常的な情報は脳が経験や記憶を元に景色を合成して本人に見せているそうです。

 

パソコンなどにもグラフィックボードなどという、映像処理をする回路が独立していることからも分かるように、映像処理というのは大変なエネルギーを要するものです。

 

そういう意味では現代人は五感をフルに使って知覚して認識するという、ヒトが本来持ち合わせている機能を十全に活かしていません。エアコンの効いている部屋でパソコンを見て、移動には自動車や電車などを使っていたら感覚が萎えてしまうこと間違いなく。

 

そういう意味で現代人は散歩や登山などを行って新鮮さを求めるのだと思っています。

 

武芸でも私たちは現代人で、そのような感覚や認識が昔のヒトよりもかなり劣っているという自覚があると、稽古の仕方も色々工夫が出てくるものだと思います。

 

令和弐年神無月二日

不動庵 碧洲齋

 

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