不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

耐え忍ぶ

新約聖書には数カ所、「忍耐」という単語が出てくる句がありますが、私はこの2句が気に入っています。

私は英語版も読みましたが、この2つについてはどちらも「standing firm」という語が使われています。我慢と言うより毅然とするのような意味合いでしょうか。

「しかし、最後まで堪え忍ぶ者は救われる。」

マタイの福音書24-13

「あなたがたは耐え忍ぶことによって、自分の魂を勝ち取るであろう。」 

ルカの福音書21-19

私の勝手な行間読みですが「耐え忍ぶ」間に何をしたかが問われている気がします。ただ単にやせ我慢するだけならそれ程難しくはないのかも知れません。その間に神に祈れとか、もしくは他の人を愛しなさい、とか、そう言うことだと思います。自分が苦しいときに他人を思い遣るなんてそうそうできるものではありませんが、聖書は常に「無償の愛」を説いてます。

当流の道場訓の一番最初はこのようになっています。

「忍耐は先ず一服の間とぞ知れ」

忍耐の時を一服の間ぐらいに捉えないと、とてもではないですが他人に目が行きません。

自分自身がいっぱいいっぱいになっていては他人を助けられませんし、勝負の場ではもちろんその心のわずかな余裕に勝機を見ます。

時節柄、各々がこのような心の持ち方をすることによって日本が困難を乗り越えられたら、きっと世界からの日本を見る目が前にも増して崇敬の念を持たれると思います。経済力にも軍事力にも因らない国威というものはなかなか高貴なものだと想像します。

故に日本国民として品位と雅量のある言動を心掛けたいものです。

令和弐年弥生二十七日

不動庵 碧洲齋

20160813200416.jpg