不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

碧呟聲 -武芸と変化-

もう15年以上前になるだろうか、ある命題に直面した事があった。

『武技は常に時代と共に変化・発展していくものである。』

『流儀を極めた者が武技の変化を考えられる。我々如きがそんなことをしてはならない。』

その時はどちらも正しいように思ったものだった。

10年近く考えて色々な点を洗い出した。

武技に留まらず、森羅万象は万物流転すべきもの。この大地とて毎日回転し、太陽系も銀河系も回転しており、しかも回転しつつ移動しているのだから、我々は実は恐ろしい速度で宇宙を巡っている。

地上のあらゆるものは何1つとして一所には留まってはおらず、何一つとして同じものはない。唯一例外は人工物で、人間が製造したものは寸分も違わず完全に同じものを数百万も作ることができる。つまり人間が日々熱心に行っている行為は非自然的である。

伝書の通り、完全に同じ事が出来ているという保証がない。ビデオレコーダーで録画しているわけではないから、世代交代で必ず少しずつ変わる。そもそも継承者たちのバックグラウンド、感性、性格、環境、体格など全て違う条件に対して『同じ事』を継承するのは事実上不可能である。逆にビデオレコーダーがあったとして、大量生産品と同じように完全に同じ事が出来たとしても、果たしてそれはどの位意義のあることか、という問題もある。

時代背景を鑑みて、仮に伝書の通りのことができたとしてもそれは恐らく昔の先人たちが出来ていたこととは明らかに異なると想像する。

幾つかの例を挙げると、江戸時代、町人の娘ですら「ちょっとそこまで出掛けてくる」距離は10キロとかそのぐらい。これは江戸東京博物館にもあったが、侍が休日に「ちょっと出掛けてくる」と言って親族のいる北千住まで行って湯島天神とかあちこち回ってその日だけで15キロ程度を歩いた記録がある。ちなみに万歩計で計測して1万歩でも7キロぐらいの距離だ。多くの人はちょっとした家庭用品の修繕ぐらいは出来たろうし、草鞋などはヒマがあったらちょっと作ったかも知れない。手先の器用さから来る脳の発達具合が今とは異なる。

伝書などは当時の人たちが当たり前のように出来ることを大前提として書かれている。身体的能力も「鍛えて」そうなるレベルという話ではなくて「日頃から出来ている」ことが前提になっている。前提が出来ない我々現代人が伝書の通りのことをするのは、小学生が中学校の課程を飛ばして高校の課程を学ぼうとするようなものだ。実際ここに着目している武道家の方はかなり少ないと感じる。

体格も違う。これは刀剣店の方と話したことがあるのだが、今や当時の平均身長と20センチ近く違う。使う刀の長さも違って然り。国際社会である、青い目をした武芸者たち相手に同じ事が通じるのかどうか、などなど。伝書の通り「だけ」やっていかほど有効なのか。

当流では「変化」を重要視している。海外同門もかなり多いが、彼らも"HENKA"をよく理解している。もちろん基礎あっての変化であることは言うまでもないが、株守であってはならないと信じる。

*これはあくまで私個人の見解であることを明記する。

令和二年睦月十五日

不動庵 碧洲齋

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