不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

発達障害のこと

先日たまたま老師と話をしていたときに気付いたことです。

最近は発達障害と認定されたり自覚したりする人が多くなってきた。

精神的に病んでいる人と言ってもいいのかもしれませんが。

老師はその基準で言ったら自分もはったと障害者だと自嘲しておりましたが、それなら私も十分発達障害者です。

会社と自宅では何かある毎に鋭い指摘が入り、ダメ出しを喰らったり、嘲笑を受けたり、徹底的に詰問されたりとそれはもう針のむしろに座るように思えること多々ありです・・・少し誇張しているかも知れませんが。

仕事の一例です。

書類のフォントが揃ってない、文字の大きさが揃ってない、文字列が揃ってない、例えばこんな事を言われたとしてもパソコンやワープロが普及する前は多分そんな指摘を受けることはなかったと思います。

仕事の速度ももちろん、インターネットが普及する前はもっともっと緩やかでした。緩やかだったからミスっても十分間に合ったことでしょうし、そもそも1つの工程に関わる人が多かったから間違いに気付く人も多かったのかも知れません。

現代ではキッチリ仕事ができる人以外は無能、引いては発達障害と疑われてしまいそうです。でも人間は元々そこまで100%狂いもなく完全にできるような仕様になっているものでしょうか?とてもそうは思えません。戦国時代とは言いませんが、IT社会になる前まではある程度の緩やかさがあったように思うことがあります。私が社会人になったのは1995年前後ですから仕事の多くは既にIT化されていましたのでそれ以前のことは分かりませんが。

こういう社会ではふるいに掛けられて優秀なごく一部の人以外は無能だとレッテルを貼られることにいささか不満を感じます。私自身はもちろん後者ですけど(笑)

日本の社会サービスレベルの高さ、日本製の品質の高さは世界的に見てやはり優れているのは間違いありませんが、それを維持するために日々就労者たちが精神的に心を削る思いをしている可能性があることを考えると、何でもハイクオリティーというのはいかがなものでしょうか。必要でない部分は質を落して力を抜くとかはできないものでしょうか。

品質の高さでは定評がある日本の永遠のライバル、ドイツの話です。

戦前、日本軍が定評のあるドイツから戦闘機を購入するかどうか検討していましたが、試験購入をして飛ばしたところ、しょっちゅうあちこちが壊れる。軍人たちは驚きました。かのドイツの製品がかくも壊れるものか。で、ドイツの技術者に尋ねたところ、何が問題なのか分からないように「え?交換すればいいじゃないですか」と当惑しながら答えたそうです。人は完全ではないから作り上げる製品も完全ではない。だから壊れたら速やかに交換できるための態勢をシステム化させるべきと言うのがドイツ式のようです。私の武芸の師匠は定年後にBMWを買いましたが半年と経たず買換えました。壊れる機械を売るとはケシカラン、とのこと。弊社の社内にもBMWの愛好者がいますが、やはりラジエター系などはしょっちゅう壊れるそうです。ただしすぐに交換してくれます。

先の戦争開始直後は零戦の故障率はかなり少なかったそうです。で、末期には女学生まで動員してますからまともに動く方が珍しくなってくる。ドイツの兵器の稼働率終戦近くになると落ちますが、それでも日本よりは遥かに高かったようです。そう考えるとドイツ式の方が先見性が高いのかも知れません。

日本人の気質でしょうか、完全完璧を目指し、かくあるべしと皆が思ってしまいます。何人かで匠のクオリティーを追求します。私は海外に住んだことがありますし、年に何回か海外に行きますが、確かに日本の社会サービスレベルは素晴らしい。国民の素養に因るところも多いですが、ロケットからお菓子の化粧箱1つに到るまで手抜きがありません。それはそれで大変素晴らしい部分ですが、人々がそれを維持するために精神的に疲弊して摩耗してきているというのは、昨今精神的な病症を抱える人が増えてきたことを考えると間違いなさそうです。

今後の働き方がどう変化していくのか分かりませんが、もう少し息が詰まりそうな働き方がなくなるといいですね。

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写真はうちのネコです。生まれ変われるとしたら私はネコになりたい(笑)

令和元年長月十三日

不動庵 碧洲齋