不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

教育について息子と話した

昨夜は稽古から帰宅後に息子と話す機会がありました。

今息子は日本の中学校の宿命とも言える学校、塾、部活のために毎日がギシギシという生活ですが、一体そうすることのどれだけの意義があるのかという事に疑問を持っているようです。

それは確かに誰でも疑問は持ったものです。

学校の勉強の多くは、それがそのまま社会で直接役に立つことはありません。

しかしそれは多くの研究分野でも同じで、直接役立つ研究などは100に一つ以下とかそんなものではないでしょうか。直接役立つかどうか分からない事が沢山集まって、驚くべき発明や開発、進歩があると言っておきました。ダイヤモンドも元はただの炭ですが、凄まじい高温と圧力があってあのような輝きになります。学問もそんなものではないかと。

また、息子はITと宇宙開発に興味がありますが、JAXA月面基地開発に本腰を入れたことを話しました。私が子供の頃は宇宙飛行士は100万人に1人にもならない、大変に狭き門でしたが、今や常時宇宙に数人いる状態という、大変素晴らしい状態です。そしてこの月面基地建設は来たるべき火星探検への準備でもあるため、今後宇宙に上がる人は更に増えます。そう考えると宇宙で働けるチャンスはこれから大幅に増えることが予想されます。だから勉強をしておいて損はないと言っておきました。

もちろんそれあることを見越していたり、私の国際交流を見ているから英語に熱が入っているのだろうと思います。

息子には苦手な人がいます。(私にもいますが・笑)

自分の領域を侵蝕されると異常なまでに攻撃衝動に駆られる、自分の意見や方法、生活領域に少しでも否定する人を徹底攻撃する、自分の意見や考えとは異なる人を徹底的に攻撃する、そういう人がどうしても苦手なのだとか。自分と自分が気に入った対象以外は存在を許さないと言うのでしょうか。息子はかなり和を尊ぶタイプなので、特にそういう人が嫌いなのだと思います。

宇宙は多種多様な生物や価値観念が共存している世界であるという前提に立つと、確かにそのエゴイスティックな考えは異常です。

息子はどうして人はそういう方向に行ってしまうのか、興味があると言っていました。

私は人はまず、何か簡単に比較して優位だと思えるところから自我が始まって、それが肥大化し増長して怪物化すると言いました。本来比較した場合、相違はあっても優劣などは錯覚に過ぎない。ところが人は自己を正当化するに当ってはそこいらの動物と違って、個体を保持するために異常なくらい知能が働き意欲を燃やします。ある意味それが万物の悪でもありますが。

まずは社会に迷惑をかけないための学識、その次は社会のために何か貢献できる学識、その上で自分がやりたいことを十全にするための学識、この順序を間違えてはならないと言いました。

東大法学部を出てハーバード大学院に国費留学生として行き、国会議員にまで上り詰めた人物が口汚く他人を罵ったり、金にモノを言わせて大国の大統領になってやりたい放題をしたり。

学歴さえ高ければ何をしてもいいのか?資産さえ多ければ何をしてもいいのか?ではどうしてそういう人たちは非難されるのか?それは主人公に据えるべきものを間違っているから。学歴も資産も重要で頼りになる杖ではあっても、主人公そのものではない。本来主人公ではないものを主人に据えてしまったからおかしな方向に行ってしまう。では一体何を主人公に据えるべきなのか。

息子はこの話しに思うところがあったようです。

教育転じて狂育となる。何が一番重要なのか、教えない、分からせない教育は人を自己顕示欲に狂わせます。

学歴や資産が重要である根拠を示せる教育、それが根本にあるべきと言っておきました。

(言い会社に入れるとか、いい給料がもらえるとか、そういうレベルではありません、念のため)

教育は何故重要か、どうあるべきかなど、私如きが偉そうに言えることではありませんが、息子が私に尋ねるときはいつも、全身全霊を以て全知能と経験を駆使して誠心誠意答えるよう努力しています。この答えが僅かでも真理にかすっていればと思います。

平成二十九年水無月晦日

不動庵 碧洲齋