不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

胴着より察す

胴着は基本、約10年に1回新調しています。

色々理由があります。

補修しても綻んでくるため。

色あせがひどくなるため。

気分を一新するため。

色々です。

当流の胴着は黒のため、昔は洗うと色あせしました。

数年使ったら白灰色っぽくなってしまいました。

最近のはほとんど色あせしないので大変助かっています。

現在愛用している胴着は薄手です。センチ以下の感覚を養おうという場合はゴワゴワで厚手の胴着だと微妙に難しく。厚手は門下では人気ですが私はこの10年、あまり好きではありません。ま、これは好みなので。

あくまで私見ですが・・・胴着をボロボロにする人はよく稽古する人ではなくて下手な人だと思っています。体の動かし方が下手な人。縫い目が裂けることはもちろんヒザヒジ部分に穴が空く。一見厳しい稽古をしている人と思いがちですが、私的には体術がうまくない要素が大きいのではないかと思う次第。むろん流儀にもよると思いますけどね。あくまで当流の場合ということで。

もちろん着ているものですから、いつか必ず破れます。その頻度の高い低いで技量を推し量れます。あちこち補修しまくっているボロボロの胴着を着ている人でそれ程うまいと思った人にはあまり会ったことがありません。

胴着の状態、着方を見ればその人の技量は大体分かります。プラス立居振舞と話し方、受身の練習まですればまあまあほぼ知りたいことの大半は分かるというものです。

16歳から26歳、高校生時代から留学を経て日本語教師になるまで着ていた胴着は結構補修しました。最初の4年は日本、次の3年は米国で独り稽古、次の3年は帰国して宗家の稽古にも参加。この間にあちこち補修しました。幸い母が補修してくれたので今でも十分に着られるほどきれいな状態です。故に棄てるのも惜しく、未だ大事にしています。

26歳から30代半ばまで着ていた胴着は前半は日本語教師として豪州や地方を巡っていたため、ほとんど稽古ができず。その代わり日本語教師を辞めた30歳頃から猛烈に稽古に打ち込みましたが、3つの胴着のうち最も高価な東海堂の胴着のため、僅かにほつれているだけです。少しだけ補修しました。これもまだ着られます。

30代半ばから11年以上着ている現在の胴着が一番布地が薄いのですが、微妙な動き、高い精度を出す動きには最も良く、大変気に入っています。門下でも昔に比べて力任せの人間が減ったこと、自分の技量が上がったことで、胴着の破損の度合いも低くなりました。昨年、合わせを結ぶ紐を補修しただけでした。まさか袖が破れてしまうとは(笑) 補修してもいいのですが、ズボンの紐も数カ所に渡って切れ始めていて、まあこれはもう交換ですかね。

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私は20年以上革足袋を使っていますが、15年ぐらい前まではよく穴が空いたものです。穴が空く位置も変化していきますが。ここ10年ぐらいは穴は空かず、周囲の縫い目が綻ぶことが多くなりました。革底はほとんどすり減りはありません。多分普通の足袋でもあまり穴が空かないと思います。

ちなみに私は常用の靴底もほとんど均等に減ります。踵だけつま先だけ腹だけではありません。文字通り地面に接する部分がほとんど均等に減ります。こればかりは目に見える進歩なのでニヤリとしてしまいます。愛用のGTホーキンズの革靴もとうとう6代目に至って靴底よりも周囲の革の方がボロくなってきた始末。同じ靴をはき続けるとそういう事も分かるようになります。

微動大揺す、最小限の動作で最大限の効果をもたらす。私はこれが武芸の奥義と心得ています。そしてそれを計ることができるのは稽古着や日常身に付けるものであることが多いという話しでした。

平成二十九年卯月六日

不動庵 碧洲齋