不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

多分こんな感じではなかったか・・・(笑)

時代劇に出てきたニンジャの中で一番「これだ」と思ったのは水戸黄門の「風車の弥七」。理由は武器はほとんど匕首で、寡黙でスカした台詞をいちいち吐かず、おバカなニンジャ装束を着ないという点。しかもレギュラーキャラでありながらいつも別行動(笑) 忍術も最小限しか使いませんし、使うときもさりげなく使っています。私的にはかなりリアリティを感じます。他のは全然ダメです。
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風車の弥七」は完全フィクションキャラですが、似たような役割を担った、光圀に雇われていた本物の忍者はいました。松之草村小八兵衛と言います。何度もブログで紹介しましたので良かったらご覧下さい。 思うに本物の忍者は平凡な道具を非凡に用いていたと想像します。普通じゃない道具なんて持っていたら、目を皿のようにして異物排除しようとしている敵方などに速攻バレますから。妙な忍者専用器具は多分戦国時代のごく一時期だけだったと想像します。 江戸時代の御庭番に代表されるような忍者もしくは隠密は、もっと何と言うか幅広い知識も持ち合わせた、言ってみればインテリな分析者のような役割ではなかったかと思います。視察先の藩で水堀に潜ったり屋根裏に隠れるなんて言う効率の悪いことをするよりも、藩士たちのなにげない立居振舞、しぐさや市井の民草を観察して、民情や政情を洞察し、経済力を推計する、そういう手合いだったと思います。それを割り出すには膨大な経済データや人物データ、藩ごとの情報、知識が必要だったはず。御庭番たちは体術や剣術、忍術の稽古よりもまずそちらに力を注いだと思います。 忍者ファンのロマンをことごとく破壊するようでスミマセン。でも論理的に考えるとどうしてもそう行き着いてしまいます。戦時下での忍術と江戸期の忍術はかなり違うと思って良いでしょう。しかも特殊技術がそのまま継承されているとはちょっと考えにくく。特殊技術は巻物などの紙面上に残るだけという事が多かったのではないかと思います。残念ながら。速く走るとか、諜報技術などは生き残ったと思いますが、遠駆けは飛脚の方が多分全然速かったでしょうし、袖の下技術は別段忍者でなくともやってますから(笑) あくまでメインは藩政の分析をする為の技術や知識が要求されたという事でしょう。速く走れたり、うまい情報収集はプラスアルファ。 とはいえ、常人には到底及びも付かない、極限にまで能力を伸ばしたという点では戦時平時同じ事ではなかったかと。そこには創意工夫とひたすらな努力があったとは思います。 当流も忍術を継承していますので、ミもフタもない忍者論で興ざめさせてしまうのは申し訳ないのですが、たんなる空想や怪しげな技術論ではなく、彼らの行動原理や思想哲学から、忍者のもっと深い部分を見て欲しいと思っています。 あ、薩摩藩などに潜入したときなどは、戦国時代並の用意だったかも知れませんね。あそこは特別ですから(笑) あ、ちなみにドラマのニンジャの台詞で一番だなと思うのはこれ。 「名も無く地位無く姿無し。 されど、この世を照らす光あらば、この世を斬る影もあると知れ。天魔伏滅・・・」 影の軍団IV、15代目服部半蔵の言葉です。「名も無く地位無く姿無し。」忍びはこうでなくてはいけません(笑)
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平成二十九年卯月五日 不動庵 碧洲齋