不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

臘八六日目

画像

臘八示衆第六夜では、日本の臨済宗の祖、栄西南宋より持ち帰ってきたお茶の由来が書かれていますが、意図するところはその効用の比喩。

栄西が宋に留学の折、病で臥せっていたところ、ある老人が熱いお茶を飲ませてくれたそうです。そしてたちまち回復したという話し。そこでお茶の苦みが心臓や内臓を強くさせると言うことを修行に当てはめていったわけです。

日本でも苦労は買ってでもしろとか言われますが、まさにそういうことです。

臘八示衆第六夜の後半に奥州の文溟和尚という方が出てきます。しばらくとある寺の住職をしていた方ですから中年ぐらいではなかったでしょうか。白隠禅師の高名を聞いてからと言うもの、ずっと憧れていつか白隠禅師の元で修行をしたいと願い、6年に亘って準備をしてきたということです。住職ですから簡単には寺を明けられません。ましてや寺は檀家の冠婚葬祭のみならず、どこか旅に出掛ける人がいれば身分証明書も発行せねばならず、寺子屋も営んでいたかも知れません。それをある程度の期間、請け負ってくれる同宗派の僧侶を探すのも一苦労でしたでしょうし、檀家さんたちに了解を得るのも大変だったと想像します。旅費も然り。言うまでもなく江戸時代に東北地方から東海地方まで旅することも決して楽ではありません。そのような困難を全てクリアしてやっと、白隠禅師が住職している、三原の松蔭寺に行くことができた喜びはいかほどでしたでしょうか。さっそく白隠禅師に相まみえると、このように言われました。

「世間的には高名な大和尚であったとしても、悟りを得て仏法に対する眼がハッキリとしていなければた だの小僧に過ぎない。大声で罵倒されても仕方がないのだ。もし、世間的な地位や名誉心があって純粋になれず、尊大な気持を抱くことがあるならば修行しても 何の意味も無い」

これだけ待ち焦がれた文溟和尚です。嬉々として答えました。「私は大法のために道場に入門する小僧であります。どうぞ、慈悲を惜しまないでご指導ください。どんなに怒鳴りあげられ、 雨のように棒で叩かれようとも命がけで修行に専念いたします」

文溟和尚は夏の修行期間中である90日間、大変真剣に修行に打ち込み、神髄を究めたそうです。

当流は世界的に見ると門下生の9割は外国人という、大変変わった環境にあります。毎日世界のどこかから来日しては稽古をします。お金持ちの門下生は年に2.3度とやってくるのですが、発展途上国の門下生はそうもいかず、それこそメッカの聖地巡礼ではありませんが、何年も爪に火を灯す思いで費用を貯めて来日します。私はそういう門下生を見つけると、なるべく多く接してもてなすのですが、そういうときはよく文溟和尚を思い出します。やっと来日できた門下生の姿を見ると嬉しく思います。来日して道場に入り稽古に参加する、それだけでも大変なことですが、来日した意義に更に磨きを掛けるために、必死に稽古に励んでいただきたいといつも思っています。

平成二十八年師走六日

不動庵 碧洲齋