不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

臘八五日目

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禅は悟りを得るためにする修行とされています。

辞書には悟りとは「迷妄を払い去って生死を超えた永遠の真理を会得すること」だそうです。

特に禅宗では修行者がずっと苦しい修行をしていてもなかなか悟れずにいたのに、何かのふとしたはずみでぱっと悟ったりすることがしばしばあります。当然のことながらそれは言葉では言い表せない、一種独特な境地ですから、いくら言葉で説明されても本質的に分かるものでもなく。私の師匠もよく悟りについて話してくれますが、頭で思い描くだけで体感的なものではありません。いつか本の小さな悟りでもいいので得てみたいと思います。

さて、臘八示衆第五夜には、在家でありながら見性(悟り)を得た人の話が紹介されています。

彼の名は山梨平四郎、現在の静岡県静岡市清水区吉原、新東名高速道路脇辺りに住んでいて、代々酒屋を営んでいたようです。この平四郎、なかなか芸術的なセンスも持ち合わせていたらしく、不動明王の石像なども手慰みで彫っていたそうです。裕福な家柄なので、店の経営は番頭さんにでも任せて余興に高じていたのでしょうか。

あるとき近所にある滝のほとりで不動明王の石像を彫っていたところ、なにげに滝壺の水泡が目に付きました。すぐに消失するものもあれば、しばらく残るものもありますが、いずれにしても必ず潰え去ってしまうその様にハッとなったそうです。同時に以前どこかで聞いた仏教の言葉も思い出しました。「勇猛心を持って修行する者は一念のうち、すなわちアッという間に悟ることができる。怠けている者は気が遠くなるほどの長年月を経なければとても悟ることはできない」

平四郎は思い立ったらすぐに行動する人物だったようです。すぐ自宅に戻るなり浴室に入るなり扉を全て閉ざして籠りました。背骨を真っ直ぐに伸ばして手を組み、真っ直ぐに前を睨み付けたそうです。途中色々な妄想や魔境が襲ったようですが、朝になると鳥のさえずりが聞こえるにも拘わらず、体の感覚がない。目玉が地面に転がっているかのような感覚。ふと強く握りしめていた爪による痛みでハッとなると元の感覚に戻りました。

そんなことを3日間も続けたあとの朝、顔を洗ってから庭を見るといつもの見え方とは全く違っていて、何だか分からなかったので近所の和尚に尋ねて見るも分からず、和尚は原の白隠禅師を訪ねるとよいとアドバイスしたために籠に乗って白隠禅師が住職する松蔭寺に向いました。途中、田子の浦が見えたとき、自宅の庭の見え方が実は全てが成仏した姿だったと気付きました。

松蔭寺の白隠禅師のところに行き斯く斯く然々と話すと、白隠禅師は部屋に招き入れて幾つかの公案を与えたところ忽ち答えてしまい、ここに平四郎が本当に悟りを得てしまったことが分かってしまった。

・・・という話し。

坐禅をしている我々在家からするとまさにスーパー在家(笑)あやかりたいと思います。

私の禅の師匠からも似たような話を聞いたことがあります。

ある女性クリスチャンがいました。かなり熱心に祈りを捧げていた人のようでしたが、ある日、気付くと何か今までと違う感じがしたとのこと。周囲を見ても自分自身も何かが違って見えるのだとか。

誰に尋ねても分からず、たまたま知り合いに坐禅をしていた人がいたのでそれでは大本山の管長様に尋ねてみてはという事で、師匠が10年以上修行していた建長寺に行き、建長寺管長に直接会って事の次第を話したそうです。で、管長は彼女に幾つかの公案を試したところ全て透過してしまったそうです。女性は「これからどうしたらいいですか」と言うと、管長は「尼僧になりなさい」と勧め、今は臨済宗の尼僧僧堂寺で修行しているとのことでした。

いや~いるんですね、そんな人が。

前例があるのですから「できません」はいい訳にはなりません。

そういうことであと残り2日間、みっちりと坐って参りたいと思います。

平成二十八年師走五日

不動庵 碧洲齋