不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

空気を演じる

声優の肝付兼太氏が他界されたそうです。慎んでご冥福をお祈り申し上げます。「ドラえもん」の初代スネ夫などで知られていますが、個人的にはやはり「銀河鉄道999」の車掌さんが一番印象深い。 Wikipediaにあった肝付さんの記事で、なかなか興味深いエピソードがありました。
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「テレビアニメ『銀河鉄道999』の車掌を演じる際、「なんだこれは?」と喧々諤々で原作者の松本零士も肝付に車掌の正体を教えなかったため、今まで演じてきたキャラクターの中でも一番演じるのが難しかったと語っている。真面目で律儀なイメージで演じていったが、正体が分かった時には「最初から正体が空気だと分かっていたら、演じようがなかった」と語っていた。」 これはなかなか禅的な話しだと思った次第です。
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ご存じの方もいると思いますが、999の車掌さんの正体は透明人間です。ガスの集合体と言うことで、実態がありません。 車掌さんは機械化人になるか生身のままか悩み、このような体になったとのことですが、これもまたなかなか禅的だと思った次第(笑) 空気を演じられる人は確かにいません。松本先生もそれを知って教えなかったのでしょうか。 また、昨日坐禅会で師匠が語っていました。 「煩悩によって悩んでいることそのものが悟り」 まさに車掌さんの実態が空であることと無縁ではないと思った次第です(笑) 本来私たちは無味無臭の、文字通り空であるところに、何かの縁起でふと立ち止まってしまったことで色が付き、自分があると錯覚してしまう。それが薄ければ悩みや苦しみも少ないということです。もう少し詳しく言えば、色が付き、自我があるということを客観的に認識したつもりでいる自分に苦しんでいるのだそうです。 「赤肉団上一無位の真人有り、常に汝等諸人の面門より出入す。未だ証拠せざる者は、看よ、看よ」 臨済宗を立てた中国の禅僧、臨済義玄禅師が言った言葉とされています。 赤肉団上とは肉体のことです。この肉体の上に本当の自分がいて、いつも自由に出入りしている。ということです。本来、私たちはこの位自由度があるはずなのですが、自我がある故にその自由を失い、自らがんじがらめにしています。
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仏教で一番有なお経、般若心経の中には「無」と「空」がたくさん出てきます。 無とは有の反対語です。つまり「無いこと」です。 一方で「空」は有無、高低、軽重、長短、多少といった、我々が日頃からものさしにしている相対的概念から離れた状態を指しています。 そういう意味で「空気」という単語はなかなかよくその物質を解釈した素晴らしい訳語だと思います。あると言えばありますが掴めません。ただ原始の頃から帆を上げればそれを受けられることが分かっていました。 「常に汝等諸人の面門より出入」できるかどうかは「空」を知っているかどうかということだと思います。
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そう言うと、何か禅堂のように大変キビシイ場所で厳しい修行をしてできるかどうかと思いがちですが、999の車掌さんのようにどちらかで悩み悩んで悩み尽くしている姿そのものが悟った姿とも思えます(笑) 師匠の受け売りですが、私たちは既に悟り切った姿そのもので、それを自覚するのが禅の修行なのだそうです。 なかなか難しい話しですが。 「銀河鉄道999」が「限られた命か永遠の命か」という壮大なテーマであったこともまた、やはり何かの仏縁だったのでしょうか。
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昨日の提唱で聞いた話しと本日知った声優の肝付兼太氏の他界にかけて、徒然書いてみました。一在家が浅学非才の身で書いたことなので、本職の方は一笑に付してご容赦頂ければ幸いです。 平成二十八年神無月二十四日 不動庵 碧洲齋