不動庵 碧眼録

武芸と禅を中心に日々想うままに徒然と綴っております。

誰が石を投げるのか

ヨハネによる福音書

律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

私は不倫には反対だし、結婚してなくとも二股も良くないと思っている。一夫一妻制の国でなくともそれに準じた貞操観はあるだろうから、要するにそれらに反した行為はその土地においてはすべきではないと思っている。

・・・とはいえ、私たちは皆、聖人君子ではないし、ヴァルカン人のように感情を完全にコントロールできるわけでもなし。せいぜいあくせくしている程度である。

そういう市井の民をそれまで徹底的に縛り付けていたのがユダヤ教であれば、そこに一縷の望みを与えたのが基督教のような気がする。誤ってはいけないが、誤ってしまった場合の救いである。

ベッキーさんの事である。

私は芸能界のことは知らないが、今まで全くと言っていいほどにスキャンダルがなかったらしい。

本人はすでに30を超えた、大人である。

そして芸能界はもちろんのこと、市井の評判でも随分良いらしい。

たまに見るテレビで彼女を見かけても、大変好感が持てる数少ない芸能人だ。

前に彼女のドキュメンタリーを見たことがあるのだが、プライベートを犠牲にしても今の芸能生活を大事にして、それまでは恋愛禁止とか言っていたと記憶している。

人を好きになることは基本予定にはできない。

人を好きになったら相手が既婚者だろうと彼女・彼氏がいようと好きになってしまうものだと思っている。

幸い私は今までそんな状況になったことはないが、周囲にはいた。

世の中には許せること、許してはならないことがあるが、そのさじ加減は批判される人・批判した人のこれからの人生を大幅にぶち壊してしまうものであってはならないと思う。

繰り返すがもちろん不倫はいかん。

ネット社会はとても寒い気がする。寛容ではないし、優しくないことも多い。匿名が多いので無責任で攻撃的だ。真理を突いているならともかく、どうでもいいことを発言するのはどうかと思う。それは自由ではなくて無法と言う。法は法律の「法」ではなく「道徳」に近い。私もよくネットで揚げ足を取られることもなきにしもあらずだが、大局的に観てより正しいと思ったことは言う。大局的に観られない人は大勢いるという前提は持った方がいい。そして間違ったら謝ればいい。

これから彼女はCMも番組も減ると思うが一時的であって欲しいと思う。これを機に彼女は深く反省して行いを慎み省察するようになると思う。今まで私生活を犠牲にして芸能界を盛り上げてお茶の間を楽しませてきた彼女が、この件で徹底的に叩かれたらあまりにも不憫に思う。叩いている人は打つべき石を持つに値するのかと問い質したい。

平成二十八年睦月十三日

不動庵 碧洲齋