明日の今頃は既に息子は機上の人になっています。
人生初の独り旅が海外になるとはあまり思っていませんでしたが、今の私を取り巻く環境からすれば十分あり得たのかも知れません。
今回は1万キロ弱の旅程ですが実は私も息子もそう遠いとは思っていません。
地球から月までは36万キロあります。
火星までは最接近したときですら2億キロ以上。
・・・だから1万キロ弱という距離は「とても近い」と考えています。
これが私と息子の距離に対する認識です。
息子は豪州のホストファミリー宅に滞在します。
かれこれ20年の付き合いになるでしょうか。
仲の良かった10歳の長女も今や三十路とは、時の流れを痛切に感じさせられます。
当時は仕事の方がめいいっぱいだったのであまり周囲を見渡す余裕がありませんでしたが、時を経てこのようにまた良いつながりを保てたことは本当に感謝に尽きません。
海外に行くと自分が「外国人」になります。
同じ人類という以外は何もかも全部違う環境下に置かれます。
比較的日本人にはまだまだ少ない経験のように思います。
いつだったか総務省の統計では100人に1人は海外に長期滞在している計算になるそうですが、体感ではこれはまだまだ少ない。その10倍ぐらいは欲しいところ。民族主義的な人ほどあまり海外に行ったことがない人が多いのではないかと思うことがあります。世界を観ると祖国の立ち位置がよく分かる。
私が体感として観ている日本の立ち位置と、昨今ネット上で息巻いている愛国主義者の皆様が信じている立ち位置とはいささか処を異にしています。
緻密さや勤勉さと言った精緻な石垣の上に建設された城は、思っている以上には堅牢でダイナミックです。もちろんだから安心して良いというわけでは全くありません。むしろそれをネタに安心しきっている節があり、それは心配です。
何をどう心配すべきか、これは直に外国に行くなり外国人たちと多く接してみないと分からぬ事。
一番いいのは政治や宗教、軍事の話までできる異国の友がいれば良いのですが、そうでなくとも他国に半年でも住んでみれば多分、自分の世界観は結構修正を加えられると思います。
私が初めて海外に行く日、大変緊張したことを良く覚えています。
20歳になる年でしたが、飛行機が離陸するまで引き返したい思いがどこかにあった気がします。
前日どころか1週間ぐらい前から神経質だった気がします。
それに比べて息子の重厚な態度には脱帽します。
もちろん、うまく英語が話せないことから初めはイヤイヤでしたが、それよりは旅の興奮が隠せないかのようです。前日なのに本人はその前の日に買ってきたC言語の書籍を片手にプログラミングすることに喜びを覚えたようです。もちろん息子にとっては海外は4度目ですからそんなに緊張するようなものではないのかも知れません。ただし今回は1人です、1人なりの楽しみ方はもちろんのこと、親のありがたさも分かる・・・かなぁ。
息子には私たちが夢に描いている距離に比べてやはり「遠くなかった」ことと、異文化の中での経験、そしてほんのちょっと親のありがたさを知ってもらえたらと思います。
平成二十七年文月十九日
不動庵 碧洲齋